きっかけは、マイミクのロベルトさんの日記「ドナルド・キーンが語る音楽」でした。
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960734241&owner_id=7240609
不勉強でキーン氏が無類のクラシック音楽好きで、その経験と知識豊富なことはそこいらの評論家も敵わない…という実感がありませんでした。そういえば、METライブビューイングが始まった頃には、東銀座の東劇でしばしばそのお姿を拝見したことを思い出したのです。
とにかく、その音楽の体験とレコードなどの知識はちょっと半端ではありません。何よりも音楽への愛着と喜びがあふれんばかり。面白いのは、何よりもクラシック音楽にありがちなスノビズムを徹底的にやり込めていること。俗物評論家を相手の快刀乱麻は胸がすくようで、あのNYタイムズの名(?)評論家ショーンバークの毒舌の底の浅さを徹底的にやりこめている。著者自身も「あとがき」で、こう述べている。
『本書に収められたエッセイのいくつかは、専門の批評家たちの文章を読んだり、FM放送などでの彼らの解説を聞いたりしたときに感じたいら立ちが直接の刺激になって書かれている』
初出は、1977年から1979年にかけて雑誌「レコード芸術」に『音楽風姿花伝』と題して連載されたもの。
ところが、実は原稿は英文。専門の『日本文学史』執筆で多忙だった氏が、「英文で書いたものでよければ」という条件付きで引き受けたから。そこで氏の三島由紀夫論を翻訳し、連載依頼の言い出しっぺでもあった中矢一義氏が翻訳を担当しています。
その中矢氏の「訳者あとがき」が、キーン氏とこの本の性格を的確に要約しています。中矢氏は、キーン氏の『音楽熱が並たいていの高さではない』『博愛主義者と評するしかない』と書いています。実際にコンサートに一緒に赴くと、その激しい熱狂ぶりに、『キーンさんが“ガイジン”であったことを改めて思い知らされ』たとか。戦争中、最前線に蓄音機とSP盤をかかえていったほどのレコード好きでありながら、あくまでも聴くことが楽しみであって収集にはまったく執着しないとか、音楽愛にあふれる氏を活写していて、この本の意義を鋭く指摘しています。
また、このエッセイが、少なからず今日の日本のオペラ・ブームに貢献したと指摘していて、さらには日本の音楽評論家の“本場偏重主義”の是正にも貢献したと次のように書いています。
『ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の最初の日本引っ越し公演のおり「アメリカにオペラはなかった」と評した評論家が存在したことを知って、熱いメト擁護論を発表した。本書に収められている「アメリカ人のオペラのために」がそれである。その後メトが二度目の来日公演を果たしたときには、もうアメリカのオペラなんかといった声は聞かれなくなった』
アメリカ人だからアメリカの音楽家を擁護するのは当たり前のようなところもあるのですが、氏の論調はあくまでも“本場主義”の俗物的な底の浅さのためにアメリカ人音楽家の素晴らしさが見過ごされていることに憤っているところが基底にあります。そこが読んでいて痛快。しばしばその名が上がる小澤征爾に対する冷静な評価(もちろんポジティブ評価)などは、今もまだ根強い“本場主義”の音楽ファンやアンチ・オザワ派に(ついでにオザワ・ファンにも)読んでいただきたいと強く思います。(絶版ですが安い古本がいくらでも出回っています)
音楽の出会いとよろこび
ドナルド・キーン著
中矢一義訳
中公文庫(絶版)
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