今回の私たちの日程最初のオペラは、チューリッヒ歌劇場の「マクベス」。
チューリッヒ歌劇場は、1834年に創設された古いオペラハウス。1890年に火事で焼失し、現在の建物は翌年に再建されたものですが、ネオバロック様式の美しい内装の歌劇場。座席数1000席余りの小さなオペラハウスですが、山椒は小粒でもピリリと辛いの例え通りで、小さなステージとスペースを逆手にとってちょっと尖った演出とプログラムでその存在感を示しています。
この歌劇場はいちはやく電気照明を取り入れた劇場ということでも有名です。そういえばあのユングフラウ登山鉄道も最初から電気機関車を走らせたことで有名。そもそも、スイスという国は19世紀末に電気が産業に取り入れた時代、豊富な水力資源に恵まれて電化が進み一人当たりGDPが世界でトップクラスという今日の富裕な経済を築きました。そういう富裕な社会と先端的な気質が、演出や舞台装置のみならず歌劇場の隅々にまで充溢しているということを実感しました。
そのひとつは、オーケストラの充実ぶり。
もともと専属のオーケストラは、ウィーンのようにコンサートと掛け持ちでしたが、やがてコンサートも充実し歌劇場から独立します。それがトーンハレ管弦楽団。1985年に完全に独立します。歌劇場専属は、チューリッヒ歌劇場管弦楽団となりますが、その実力は大変なもの。最初の序曲が鳴り出した瞬間に思わずその素晴らしさにうなってしまいました。
最初の夜は、平土間(パルケット)席の2列目のど真ん中。オーケストラに近接した席です。通常のオペラハウスでは目の前にオーケストラピットの塀があって音が直接届かないのですが、ここのピットの壁はパンチングメタルのような半透過になっていて、まるでコンサートホールのかぶりつきのような迫力。ピットフロアが下がっている分、むしろ、コンサートホールよりも高い位置に客席があるのでやや見下ろすような感覚で聴くことになります。そういうサウンドで聴くオーケストラの音が実に美麗で目が詰まっていて本当に素晴らしい。ヴェルディの管弦楽というのは、実に劇的で重厚、堂々たる音楽だということを全身に浴びるように体感しました。
指揮者は、ジャナンドレア・ノセダ。
ミラノ生まれで、トリノ王立歌劇場の音楽監督であるノセダのヴェルディに文句のつけようがあるはずもありません。とにかく張りつめたような劇的緊張がとてつもない。それでいて硬質な息苦しさは微塵もなく、その音楽には抜けるような歌心とカタルシスがあります。もっともノセダにはマリインスキー劇場をゲルギエフをともに支えているという別の側面があって、後日、そのことをまざまざと実感することになるのですが…。
タイトルロールは、ダニボール・イェニス。
スロヴァキア出身のバリトンは、ミラノ、パリ、ロンドンと広く活躍し、さすがの存在感です。この深刻な役柄を、張りのある声質と表情豊かな演技力で最初から最後まで歌いきりました。しばしばヴェルディのオペラは、シェークスピアとも違った位相ではあるとしても、翻案という以上の劇性を備えると言われますが、それは歌手次第なのだと思います。
凄味さえ感じさせたのが、マクベス夫人のタチアナ・セルジャン。
この歌劇は、まさに権力というものの有り様とそれに取り憑かれた人間の悲劇を残酷なまでに表現していますが、それは時にタイトルロール以上にその夫人の悲劇でもあるわけです。権力というものは男がとてつもない重圧と背徳で支えるものですが、夫の出世を願いその虚栄に寄生するその妻は、しばしば夫以上に己の強欲の復讐を受けて苦悩する。プリマの多くがやりたがらないマクベス夫人役を、マリア・カラスはあえて声を潰して演じきったのだと伝えられます。タチアナ・セルジャンがそういう悪声だとは思いませんでしたが、この難役の貴重な歌い手として欧州本場でも傑出した存在だと納得。
演出が実に斬新。
舞台はいかにも欧州のオペラハウス好み。その趣向の頂点にあるチューリッヒらしいシンプルでなおかつ歴史劇としての重厚さを備えた舞台。全4幕にわたって何一つ変わらない。ほぼ真っ暗なステージで、両脇にLEDの吊り照明を遠近法的に配列して奥行きを持たせるというだけのもの。その中でコーダー城内の宴会場や寝室から、洞窟や黒い森まですべてのシーンが演じられます。
ほぼ全裸ともいうべき男女の群れがおぞましい魔女の集団となり、それが全幕にわたってマクベス夫妻の心理の架せとなって蠢き、権勢の重圧によって自暴自棄となる二人にまとわり続けるのです。
合唱は終始舞台の袖で歌われステージに登場しませんが、それがついに終幕に至ってバーナムの森へ進軍するイングランド軍の象徴として登場します。その姿は、全身黒ずくめで、KKKのような尖り目出し帽を被った集団。それは二人の運命にとって決定的な打撃になるわけですが、それは私たちにとっては決して不当な王位簒奪者を成敗する正統な軍団というものには映らず、不条理そのものの反権力の闇だとした思えないのです。
「マクベス」は、「オテロ」ほどには上演されないヴェルディのオペラですが、これほどの充実した歌劇だと実感できたことはうれしい誤算です。まだまだオペラにはなじめなかった頃にザルツブルクで観たきりの「マクベス」でしたが、本懐を遂げた思いで大いに充足された気持ちでした。
(続く)
チューリッヒ歌劇場
ヴェルディ:「マクベス」
2017年5月24日(水) 19:30
スイス・チューリッヒ チューリッヒ歌劇場
(Parukett links Reihe 2, Platz 16)
Macbeth
Opera by Giuseppe Verdi
Conductor:Gianandrea Noseda
Producer:Barrie Kosky
Buhne und Lichtgestaltung:Klaus Grunberg
Assistant set designer:Anne Kuhn
Costumes:Klaus Bruns
Chorus master:Ernst Raffelsberger
Dramaturgy:Claus Spahn
Orchestra: Philharmonia Zurich
Choir:
Chor der Oper Zurich, Zusatzchor der Oper Zurich, SoprAlti der Oper Zurich
Macbeth:Dalibor Jenis
Banco:Wenwei Zhang
Lady Macbeth:Tatiana Serjan
Kammerfrau der Lady Macbeth:Hamida Kristoffersen
Macduff:Joshua Guerrero
Malcolm:Otar Jorjikia
Arzt:Reinhard Mayr
Diener Macbeths, Morder:Timm de Jong
Drei Erscheinungen:
Astrid Hanggi
Linda Carmen Schmid
Mamuka Tepnadze
Statistenverein am Opernhaus Zurich
ログインしてコメントを確認・投稿する