ひさしぶりに町田の音楽サロン、アートスペース・オーを訪ねました。
この小さなサロンで聴く室内楽。間近で聴くクラシック音楽というのは、ある意味ではとても厳しい。
それでもここで聴きたいと思うのは、ひとつには大きなリサイタルホールの整えられた音響では聴くことのできない演奏者のむき出しのテクニックやパッションが聴けること。もうひとつには、こうした厳しい間近な生音の持つ裸の音に耐えて耳を鍛えるためです。
「耐えて」とか「鍛える」というのは何だか穏やかではありませんが、こういう生の近接音に触れると音に対する感性の幅が拡がるような気がするのです。オーディオではきつくて痛い音…排除しようとしている音が実はリアルな音であって、それをマスクしたり削ぎ取ろうとオーディオシステムに手を加えてしまうと気づかないうちに大事なものまで聞き過ごしてしまうことになることがずいぶんと多いような気さえします。「よい音」とは「好きな音」、すなわち耳ざわりのよい音のことだという安直さに甘えていると、音と音楽の本質を見失ってしまうのではないかと思うのです。
プラハ・グァルネリ・トリオは、プラハで結成されたアンサンブルで、その名の通り至高の名器グァルネリ一族の楽器を使用しています。チェネック・パブリークさんのヴァイオリンはグァルネリ・デル・ジュスの1735年製“ジンバリスト”であり、また、マレク・イエリエの楽器はアンドレア・グァルネリ1684年製のチェロなのです。こうした楽器を目の前で聴くという機会は滅多にありません。
しかも、プログラムは大好きなシューベルトとメンデルスゾーンの名曲。
ともに大曲であるこのロマン派ピアノトリオの傑作2曲をともにプログラムに据えるのはなかなかないことで、主宰の大橋さんのお話しによれば、特にお願いしてようやく承諾してもらったとのこと。確かに単に好きな曲ということにとどまらずとても聴き応えのあるプログラムでした。
晩年の傑作であるシューベルトの2番は、45分にも及ぶ大曲。特に最後の第4楽章は748小節にも及ぶ「天国的な長さ」で、3つのピアノソナタとともにこの作曲家の晩年の作風をよく示していて、第2楽章主題などが再び回想されるところなどは聴いていてはっとするような深みを湛えています。ピアノの歩むような刻みのうえに荘重な歌が展開する第2楽章は、キューブリックの映画「バリー・リンドン」でも使われて強烈な印象を残します。
ただ、さすがに小さなサロンで聴く音はいささかエロティシズムに不足していて、しかもこの日は湿気が高くさすがにタリシオさんのグァルネリ・デル・ジュスも精彩を欠いているように思えたのです。
しかし…
休憩後のメンデルスゾーンが始まると、思わずのけぞるほど驚きました。三人とも漲るような自信に満ちたサウンドでいかにもこの曲らしい、ほのかなロマンチックな陰影をたたえつつも明るく堂々とした富貴な美意識に満ちた音楽を奏で始めたのです。その柔らかくてしかも音が通る、充実したサウンドは最後まで輝くように小さなサロンを満たしてくれました。確かに楽器がだんだんと暖まるというようなことはあるのでしょう。けれども、これほど休憩後でいきなり音ががらりと変わり、格段の生気を帯びて鳴り出したことには驚きました。
おそらく前半ではまだサロンの音響を把握し切れていないままにスタートし、そのままアンサンブルとしてのバランスの連続性を優先していたのでしょう。休憩時には何らかのバランス修正が話し合われて、2曲目はあらたなバランスでぱっと花が開いたように開始したのだと思います。
デル・ジュスの音は、これほどの至近距離であっても決して切り込むような音がせず、どこまでも柔らかで表情が細やかです。ストラドのような輝くような音量は感じないのですが、さりげなく音がよく通りしなやか。チェロも同じようなところがあって沈み込むようなバスバリトンの声というよりは、温和で柔らかな美声で慎み深い。イヴァン・クラーンスキーさんはサロン備え付けのヤマハをこういうグァルネリと見事にマッチングさせて主宰の大橋さんを喜ばせていました。この小さなサロンでは、小さめのヤマハでも音が硬くなって飽和してしまうことが多いのですが、さすがに歴戦の常設トリオは短時間で音のバランスを探り当ててしまったようです。
アンコールの紹介は、バブリークさんのかたことの日本語。和やかでとても満ち足りた雰囲気でコンサートの幕がおりました。
アートスペース・オー 第202回コンサート
プラハ・グァルネリ・トリオ
2016年9月24日(土) 18:00
東京・町田 アートスペース・オー
フランツ・シューベルト: ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調Op.100 D929
フェリックス・メンデルスゾーン: ピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op.49
(アンコール)
ヨゼフ・スーク:エレジー
アントン・ドボルザーク:ユモレスク
ログインしてコメントを確認・投稿する