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2016年08月16日16:01

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八ヶ岳高原ダイナミックオーディオ試聴会

八ヶ岳高原音楽堂で、ダイナミックオーディオの試聴会があるというので、蓼科から東京への帰り道に立ち寄ってみました。

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八ヶ岳高原音楽堂は、以前から一度は行ってみたい音楽ホールでした。高原の高級リゾートに立地していて宿泊食事込みというセレブなコンサートが多く、時間的にも経済的にもなかなか敷居が高くてこれまで訪れる機会がなかったのです。

ここは、八ヶ岳の東側、標高約1500mの裾野に拡がる高原の牧場跡を旧・西武グループが開発した「八ヶ岳高原海ノ口自然郷」という高級リゾート・別荘地。。JR野辺山駅から車で20分ほどの森林のなかにロッジ、旧徳川義親公爵の邸宅を移築したヒュッテなどを中心に別荘地が拡がっています。

その高原ヒュッテのロビーで別荘のオーナーがレコードを持ち寄って鑑賞会を催したのがそもそもの始まり。やがては前庭でのサロンコンサートも行われるようになり、88年にこの八ヶ岳高原音楽堂がオープンしたとのこと。

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ホールに立ち入ってみると、コンサートホールというよりは林間の高級リゾートホテルのロビーをそのまま250席のオーディトリウムに拡大したような美しい木造りのデザイン空間となっています。残響時間は1.6秒とのことですが、ことさらにライブでもなくデッドでもなくごく普通のニュートラルな響きに感じます。大きなガラス戸は実際に触ってみるとガタガタで、決して音響的な配慮が優先されたものとは思えません。その代わりに緑豊かな山間や高原から見下ろす景観がそのまま目に飛び込んでくる自然環境に包まれるようなコージィなデザインスペース。このガラス戸は時に大きく開け放たれてコンサートを行うこともあるそうです。

すでに試聴会は始まっていて、はっとするほど美しく格調の高いランパルのフルートの音色が耳に飛び込んできました。そのままホールほぼ中程の列、中央に着席。そのバランスのよいナチュラルな響きと音楽に聴き惚れてしまいました。チェンバロは、一聴してモダン・チェンバロとわかる鮮やかな音色感です。配られたディスコグラフィにはクレジットはありませんが、おそらくヴェイロン=ラクロワの伴奏。楽器はノイペルト製なのでしょう。ぱっと聴いてすぐにモダンとピリオドの区別がつくということは、再生装置の音色表現がとても正確だという証明なのだと思います。

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装置のラインアップは、リンのKlimaxのEXAKT350とDSMというフラッグシップ・マシーン。悪かろうはずがありません。コンサートホールとしては小規模とはいえ250席の空間で存分な音量で、しかもよく音が届き、よいバランスで正確に鳴らすというのはさすがだと思いました。アナログもKlimaxのLP12が用意されていて、次にはG.グールドのウィリアム・バードのアルバムLPがかけられます。これがとても典雅で静謐なピアノの響きで、その味わい深い音色再生にいつまでも浸っていたいと思わせるほど。

反面、司会の厚木繁伸氏が得意満面でかけた、ムラヴィンスキーのチャイコフスキー第6番は、大音量での拡がりと分離はなかなかLP再生離れしたものがあるのですが、オーケストラのスケールや音の厚みに欠けていて、演奏の正確さばかりが目立つだけで白熱したものが伝わってきません。対照的に、続けてかけられたディジタルの「魔笛」の立体的な拡がりとボーカルのリアルな力感には感嘆させられます。ただグロッケンシュピールの音に鮮度とキレがなぜか不足したのは録音のせいでしょうか。

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最前列で聴いたらどうなのかと、後半は前から二列目に移ってみました。

すると、俄然、録音のアラのようなものが耳について痛いし、何よりも音像が大きいことで、ただでさえ押しの強いデュ・ブレとバレンボイムのデュオに少しうんざりしてしまいました。ここの音楽堂の環境や歴史にいかにもふさわしく、厚木氏のスノッビズム満開のスピーチで紹介されたエネスコもSP時代の録音のアナログらしい魅力にいささか欠けていて、少しのっぺりしたようなこぎれいな音楽になってしまいます。

広いホールに合わせた音量が、スピーカーに近い前列では仇になるのか、あるいはこのホールの音響特性そのもののせいで前列は間接音が不足して直接音だけになってしまうのかわかりません。どうもその両方のような気がしました。このホールはアコースティックなコンサートでも、中程より後がよいようで、少なくとも前列はやめたほうがよい。そういう気がします。

最後の、五嶋みどりのバッハ無伴奏。最新の録音ですが、聴いていて少し違和感がありました。音像が近接的でやたらに大きい。音もディジタル臭くてかなりチリチリと耳に痛い。たまらずもと居た中程の席に戻りましたが、それでも音像の大きさは解消されませんし、その分、解像度の高さがかえって不自然です。演奏のほうもとてもプライベートな解釈で、日常的に肌身離さず携え繰り返し音読してきた福音書を、あらためて皆の前でそらんじてみせるような演奏です。親しみやすさと慎み深さがあってもそのまますぐに聴き手に深い感銘を与えるようなバッハではないような気がしました。

それにしても、大きなスペースで再生するオーディオというものに考えさせられるものがありました。ハイエンド機というものは、かなりのパワー能力を当然のように有しています。今回も、これだけの空間をいささかの不足も無く鳴らしていましたが、かといって、いったいどの程度の空間容量で鳴らすことを前提にしていて、どういう距離をとって聴くことを想定しているのだろうかという疑問が残ってしまったのです。


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