上野の東京芸大でSPレコードを聴いてきました。
SPレコード研究家の故クリストファ・N・野澤氏から芸大図書館に寄贈された2万枚を超えるSPレコードのコレクション。このコレクションには、歴史的に貴重な音源が多数含まれていて、その全点公開利用のために、順次、整理が進められています。そのほんの一部ですが、野澤氏が愛用した蓄音機クレデンザで聴くレクチャー&コンサートが定期的に開催されていることをミク友のUNICORNさんから教えていただきご一緒しました。
この日は、ハンガリー楽派の系譜をテーマに、ヴァイオリニストの澤和樹学長の解説、ゲストにはジョージ・パウク卓越教授という豪華な顔ぶれで進められました。
ヨーゼル・ヨアヒム(1831-1907)
♪ブラームス「ハンガリー舞曲 第2番 ニ短調」(1903)
ベートーヴェンの協奏曲の復興、ブラームスとの親交も厚くその協奏曲にも多くの助言を与えたという大ヴァイオリニスト。その門下にはアウアーがいていわばハンガリー楽派の始祖。今回アウアーが聴けなかったのは整理中のコレクションに再生可能な盤がまだ見つからなかったからだそうです。もう晩年の演奏ですが、その輝くばかりの技巧と闊達な音楽性に、会場から驚きやため息の声が漏れ、演奏が終わると大拍手となりました。
イエネ・フバイ(1858-1937)
♪フバイ「子守歌」(1929)
♪フバイ「チャールダーシュの情景 第12番 小鳩」より(1929)
アウアーと並ぶヨアヒムの高弟のひとり。くっきりとした美しいアーティキュレーションがとても印象的。以前に聴いた復刻ヴィニル盤の感動が甦るような思いがしました。
カール・フレッシュ(1873-1944)
♪ヘンデル(フレッシュ編曲)「祈り」(1929)
♪モーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.378 第一楽章」より(1937?)
教育者として有名で、その門下からはジネット・ヌヴー、シモン・ゴールドベルク、ヘンリク・シェリングなどを輩出。パウク先生によればその音階教本が有名で、いまでも生徒たちにはその退屈なドリルで名が知られているとか。暖かみのある音色と真っ直ぐで美しい持続音が素晴らしい。弦楽器の原点のような演奏です。
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)
♪「そよ風」(1913)
♪ブロッホ「バール・シェム」より(1940)
若かりし頃と絶頂期のシゲティの録音ですが、倍音が美しく真珠の粒が転がるような細かく速いパッセージが本当に天才的。パウク先生によれば、シゲティはとても長身で腕も指も長かったそうで、そういう恵まれた体格に任せた奏法のため晩年の衰えが早く自身の技巧に悔いを残していたとのこと。
フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)
♪クライスラー「プレリュードとアレグロ」(1925?)
♪ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調第一楽章」より
クライスラーの方は、盤のピッチが1音高いため、これだけは後述の日本製電蓄でピッチを調整して再生されました。重音奏法が本当に見事。シベリウスがその協奏曲を献呈したヴァイオリニストとして知られるヴェチェイですがなるほどと思いました。澤先生によれば、ベートーヴェンは速めのテンポでこれは盤面制約で一面に収まるように演奏したのではないかということでした。
エデ・ザトゥレツキー(1903-1959)
♪バルトーク「子供のために」(録音年不明)
シゲティと多くの共通性を感じさせ、クリアで暖色系の明るい音色ですが、シゲティよりも少しロマンティック。それはシゲティとは対照的なキャリアを歩んだからだとパウク先生。イタリアや北米への演奏旅行で名声を得たものの戦争や体制に阻まれて西側の音楽潮流に触れることが少なかったからだと言います。1956年のハンガリー動乱後にアメリカに亡命しインディアナ大学に迎えられますが短命でした。日本であまり知られていないのもそのせいでしょう。
パウク先生は、ベルリンの壁崩壊後にブタペストを訪ねたそうですが、学生たちの質は高くはなくハンガリー楽派はすっかり衰えていたそうです。それも度重なる人材流出の結果です。ハンガリーは20世紀初頭には繁栄を極め多くの音楽家を輩出しています。しかし、左派政権から民族主義政権へと政治が混乱、第一次大戦の敗北によるオーストリー・ハンガリー二重帝国の崩壊と領土縮小、親ナチス政権の成立、第二次大戦で再び敗戦、社会主義政権とソ連支配、ハンガリー動乱と続いて、富と人材の一方的な流出を繰り返してきました。ハンガリー楽派は事実上途絶えてしまったと嘆くパウク先生の話に会場が静まりかえります。
ティポール・ビストリツキー(1908-2003)
♪フバイ「そよ風」(1942)
ここまで時代が来るとSPといっても録音の良さが引き立ってきます。シゲティ的な即物主義的演奏でとてもモダン。ヴァイオリニストだけではなくピアニストも指揮者もハンガリー出身の音楽家の多くが新大陸で名声を得たのは偶然ではないと思えます。
ティポール・ヴァルガ(1921-2003)
♪プリンチペ「エル・カンピエロ」(1948)
♪サラサーテ「序奏とタランテラ」(1948)
ヴァイオリン国際コンクールに名を残すひとで、バルトークや新ウィーン楽派の音楽を熱心に取り上げたひとですが、こういうヴィルトゥオーソ風の演奏は初めて。なかなか堂に入った演奏です。その速くて細かいヴィブラートがクレデンザからもしっかりと聴き取れます。こうして半世紀にわたるヴァイオリン演奏を聴いてくると、ノン・ヴィブラートから遅い緩やかなヴィブラート、そして速い現代的ヴィブラートと、ヴィブラートだけでもその演奏の変遷が聴き取れました。
パウク先生のお話しがとても面白くて、だいぶ時間が超過してしまいましたが、楽しいコンサートでした。会場には、長年にわたって芸大や昭和音大で後進指導に当たられてきたジェラール・ブーレ先生もおられました。パウク先生とプーレ先生はひとつ違いの同世代で、なんとパガニーニ国際コンクールで第一位を分け合ったというご縁なのだそうで、これまたびっくり。芸大らしい催しのビックサプライズでした。
クレデンザの音はさすがでした。ただ、ちょっとばかり会場が大きくて大スタジオといったデッドな音響のせいか、必ずしもクレデンザの本領発揮とはいかなかったように思います。
ヴェチェイの再生時に使用された日本製の電蓄もなかなかのものでした。司会の大角欣矢教授によれば、これも野澤氏の愛用のものだそうで「こっちの《仏壇》もいい音でしょう?」とのこと。ただし、やはりラッパ型と電気増幅の微かな実在感の違いは感じました。この電蓄はアポロといって、終戦直後に軍事一辺倒だった体制から民生品への転換で活路を求めたトヨタ自動車工業の電装工場(現・デンソー)の製品です。
そういえば、朝ドラの「とと姉ちゃん」も来週からはいよいよ戦後のこの時代のお話しになりますね。
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