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2016年02月12日18:29

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河村尚子 ショパン・プロジェクト第3回「マヨルカ島からノアンへ」

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青天の冬空の常磐道を水戸へ。先月のツィメルマンの素晴らしい公演の記憶も新たなままに再び水戸芸術館を訪れました。

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このアート・コンプレックスは、日本の誇る建築家磯崎新の代表作のひとつです。私が好きなのはこの噴水なのですが、さすがに冬季は枯れたまま。それでもポストモダンの造形が決して人気の無さにつながらない暖かみを感じさせてくれます。先週訪れた大分市のアートプラザ(旧大分県立大分図書館)が穏やかに成熟して実を結んだという気がします。大分では、水戸のモックアップが展示されていました。

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河村尚子のショパン・プロジェクトもいよいよ第3回。

そのショパンの中核ともいうべき1838年から翌年にかけての傑作の数々がプログラムに並びます。

私にとって印象深かったのはプログラム最初のマズルカ。

演奏前のトークでは、ポーランド生まれのマウゴルジャータ・バートル・シュライバーに師事していたころのエピソードに触れていました。マズルカは、ポロネーズやワルツやメヌエット、あるいはバッハの時代のサラバンドなど貴族のダンスと違っていて、平民の踊るもの。恩師は、その違いを実際に踊って見せてくれて「身体をいっぱいに使うもの」と教えてくれたそうです。

そのマズルカは、私の何となく持っていたイメージよりも、ずっと土臭い演奏。河村は、いわゆるロシア・ピアニズムの系統ですので背筋はすっと伸ばしたままで決して強打であっても上体を大きく動かすほうではないのですが、ペダルを深く強く踏み込んで低域がしばしばブンブンと滲むほどに鳴らしとてもグルーヴィな、まさに、土俗的な輪舞で激しい舞踏の音楽。

ミケランジェリとかポリーニのような音の粒立ちのよい透明感とは対照的で、ルイサダのように舞踏的といっても南仏の地中海的な明るい色彩と丸みを帯びたものともかけ離れています。むしろ、その主情的なペダル遣いやドラマチックな打鍵はキーシンを思い出させましたが、もっともっと舞踏的。ふだんの河村からしてもとても違っていて、そこに師から学んだショパンの精神性に潜む祖国ポーランドの民俗性への強い思いが込められていたのだと感じたのです。早くも河村の表情には取り憑かれたような火照りが現れます。

変ロ短調のソナタでは、とても激しい、強烈なまでにヴィルティオーゾ的な快速ぶりにびっくりしました。そのことで、このソナタがあくまでも中間楽章に置かれた「葬送行進曲」を中心になり立っているということを際立たせました。その陰々滅々とした死の響きと限りないあこがれのような哀悼の歌こそがこのソナタのほぼ全てであって、前後に配置された楽章はそれを守り固める城壁のようなものだと思えました。河村は長大な「葬送」では存分に耽溺し歌っていましたし、その導入ともいうべき第一楽章とスケルツォ楽章、クロージングのための終楽章では、その分だけいつもよりも激しく疾走せざるを得なかったのでしょうか。見事でした。

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休憩後は、「24の前奏曲」。

トークで河村は「ショパンの日記のようなもの」と語っていました。すなわち日々の様々な情感の片々をありのままに綴ったもので、ひとつの曲集としてのまとまりがあって、なお、ひとつひとつが限りない多様性を秘めているということでしょうか。演奏も、個々にはアラベスクのような細かい幾何文様であったりバラードのようなシンプルな抒情歌であったり、あるいは怒り、焦燥に満ちた激情の瞬間であったりと変化に満ちた演奏です。ピアノの音も、前半からすればかなり落ち着きを取り戻し、いつもの河村らしい明晰さと美しい高域のタッチへと回帰していました。その音色と情感のテンペラメントの多彩さが美事。


コンサートの後はマイミクのロベルトさん夫妻、GRFさんとの四人で会食。ロベルトさんは河村尚子さんが育ったデュッセルドルフにも駐在されていたことがあって、そこから通ったショパンコンクール体験談などに大いに話しの花が咲きました。東京への帰路はGRFさんの車に便乗させていただき、車中でさらに話しの延長戦。あっという間に東京でした。

ロベルトさん、GRFさん、ありがとうございました。



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河村尚子 ショパン・プロジェクト(全4回)
第3回「マヨルカ島からノアンへ」
2016年2月11日(木・祝日) 16:00
水戸市 水戸芸術館



4つのマズルカ 作品41
ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35

24の前奏曲 作品28

(アンコール)
前奏曲変イ長調(遺作)
24の前奏曲作品28から
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