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2015年03月10日23:31

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映画「キューポラのある街」

先日、図書館からDVDを借りてきた。

私にとって懐かしい映画だが、単に懐かしくて観てみたいと思ったわけではない。

公開されたのは1962年(昭和37年)。私が初めてこの映画を観たのは、その数年後。すでに名画の誉れ高く、高校の教室を抜け出して級友とふたりで「新宿文化」(「ATG」)に観に行った。あの時のお目当ては、もちろん、この映画が出世作となった吉永小百合だった。

映画の舞台は、埼玉県川口市。私自身、大学生になってたまたまこの街に親しむことになったが、その当時も、鋳物の町として有名だった。その後、社会人となって、この町の工場向けに鋳物の原料となるナマコ板(銑鉄を鋳込んだ「型銑」)の営業にも係わったことがある。

「キューポラ」とは、その銑鉄を溶解する炉のこと。本来「キューポラ(Cupola)」とはドーム状の丸屋根のこと。コークスを炊いて熱するのだが、熱の効率を上げるために末広がりのドーム状の円筒型をしていた。工場屋根に突き出た独特の形状をした煙突がキューポラのシンボルだった。

吉永小百合演ずる中学3年生のジュンは、その鋳物職人の娘。昔気質の職人である父(東野英治郎)は会社を馘になり生活は困窮している。勉強がよくできてしっかりもののジュンは「ダボハゼの子はダボハゼ」と言ってはばからない古い価値観の父に反発し、高校進学をめざすがそれも経済的にままならない。「スーパーマン」がニックネームの担任教師(加藤武)は合格の太鼓判を押して応援してくれるが、ひとり密かに浦和にまで行ってその高校の校庭を盗み見るジュンの姿が切ない。映画では「県立第一」となっていたこの高校は、通称「(ウラワ)イチジョ」と呼ばれる県立浦和第一女子高等学校のこと。ジュンの凛々しさは、同じく山の手の女子進学校だった都立駒場高校(旧府立第三高女、戦後の学制改革で男女共学化)に進んだ吉永自身と重なる。

さて…

この映画をもう一度観たいと思ったのは、この映画で印象深かった一シーンのこと。そこではブラームスの「交響曲第4番」が使われていた。

ジュンがクラスメートの中島ノブコに頼まれてノブコの家で勉強を手伝うという場面。ノブコの父は新式の工場に勤める鋳物技師で、家は裕福。ノブコが蒸し暑いからと窓を開け放つと、夕日を眺めるふたりの耳に階下から音楽が聞こえてくる。ノブコが「兄貴の自慢のステレオよ」と言う。私には、ブラームスの四番を聴く度にこのシーンが思い出されるのだ。

今の時代に、あらためてこの映画を見直してみると、様々な感慨がわいてくる。特に苦い思いがつのるのは、ストーリーの中核となっている北朝鮮への「帰還運動」のこと。決してこの映画がその後批判を浴びたような「キタ」の宣伝・礼賛だとは思わない。「在日」の人々が当然のように祖国への帰還を目指す。その人道的な共感は間違っていなかったと思うし、彼らが受けた民族蔑視や日本人妻や二世たちとの相克もリアルに描かれていて、家族離散の悲劇にもきちんと向き合っている。それでも、北朝鮮のその後の実情がわかってしまった現代から見れば複雑な思いがよぎらざるを得ない。

ジュンの父親は、家族が困窮するなかで「チョーセンとはつき合うな」「組合なんてアカの世話にはならん」などと酔いに任せて悪口雑言の言いたい放題だが、結局、塚本(浜田光夫)ら親身になって活動した若い鋳物工たちと労働組合に救われる。経済的には大きな格差があって、貧困と非行のどん底にあってもジュンたち子供たちの交友には今見ても驚くほどに差別や階層の分け隔てが皆無で在日朝鮮人との友情も爽やかだ。公開時に見た多くの日本人にも、それから数年経って見た私たちにも、例え《甘い》と言われようとも、その理想に大きな違和感は無かったと思う。

進学をあきらめたジュンだが、トランジスタラジオの組み立て工場に就職が内定する。その工場とは日立武蔵(日立製作所の半導体事業=小平市武蔵工場)のこと。そこで働く若い女工(吉行和子)たちの目の輝きや休憩時の歌声運動などにも、どこか甘酸っぱい気持ちがこみあげてくる。当時は、エリートばかりでなく経済的な理由で高校や大学に進学できない子弟にとっても、こうした大企業は希望の的だったのだ。若い人々は、経済環境や学歴、思想信条にかかわらず、皆が均しく「幸福の追求」の権利があると信じていて、豊かな未来を夢見ていたのだ。高度成長時代の日本とはそういうものが土台にあったのだ。

それが、今はどうだろう。

いつから、どうしてこんな風になってしまったのだろうか。


ブラームスは保守的で、ベートーヴェンを規範にした「新古典主義」。ワーグナーらの革新に抵抗し、調性と古典形式に固執し、その音楽は重厚で韜晦であってある種の教養主義の権威のようにさえ言われる。「交響曲第4番」は、特に懐古的であって枯淡の境地を映した老境の音楽のように言われている。

けれども、私にはそれはどこかとんでもない間違いだと思えて仕方がない。だって、この映画では、豊かさのシンボルだったのだ。その高雅な主題旋律は、上流社会の高雅さに満ちあふれていたし、開け放たれた窓から見渡す夕焼けに染まる街並みを目にしながら、いつかこんな豊かさとゆとりを手に入れたいという希望をこの音楽に重ね合わせてうっとりと高揚する。そのメロディは諦念とか哀愁のようなものではなく、むしろ、それらとは真反対の憧憬のようなもの。だから、多数のそういうブラームス観や演奏評を見るたびに、進歩の気概がいつの間にか保身と守旧にすり替えられてしまったような裏切られた気持ちがしてたまらない。それはあの時代といまの時代で何かがすり替わってしまったせいなのではないか。

私にとってブラームスの「4番」は、あくまでも豊かな伝統文化への尊崇と憧憬のシンボルだし、その意匠を凝らした造形と旋律美、対位法的な音響色彩の鮮度の高さは、決して後戻りをしない決然たる先取の精神の深さそのものだと響くのだ。

「キューポラのある街」を見直したのは、そのことの再確認だった。
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