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2024年12月22日14:02

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イタリアの伝統と粋 (クレモナ四重奏団)

これぞイタリアの伝統…というのか、イタリアの粋というのか、とにかくイタリアの弦とはこういうものだと思い知ったという気分。

サルビアホールのクァルテット・シリーズで、クレモナ四重奏団(Quartetto di CREMONA)を聴きました。

クレモナ四重奏団は、その名の通りクレモナで結成されました。使用楽器もすべてクレモナの伝統を継ぐもの。2018年の初来日時には、かつて東京クァルテットが使用していた日本音楽財団所蔵のパガニーニ・セットを貸与されていました。チェロ以外は立っての演奏。四人がおそろいの黒のダブルのスーツというのが実にかっこよくて、やっぱり、さすがイタリアン。

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あのイタリア弦楽四重奏団の後継というのもうなずける。輝かしく流麗で濃い艶を帯びた音色と、ウィーンなどの中欧のローカリズムとは明らかに違う地中海的な陽光に満ちた伸びやかな音楽性。その高度な技術は、新即物主義的なテンションの高さとは別物で、即興性と対位法的な機敏さと、厚みのある和声が両立していて、しかもよく歌う。

情熱的な情感にあふれていて、まるでプッチーニのオペラを聴いているよう。

最初の「菊」は、あたりまえだけれどまさにプッチーニ。純粋無垢であるからこその妖艶さ一途さ、それに運命を狂わされていく男の優しさ情の厚さが、果てしなく何重にも絡み重なり合う重層的な歌と響きが、砂漠のような不毛へと朽ち果てていく。

バルトークの4番は、いままで聴いたものとはまるで違うと感じるのに、かえって、この曲にはバルトークらしさがぎっしりと詰まっているという発見に満ちている。暴力的で打楽器的な第一楽章、弱音器をつけた第二楽章の渋い音色、民俗的なエレジー(悲歌)が綿々と続く中央の第三楽章。そして第二楽章と音色的に対をなしたようなピッチカートだけで演奏される常動曲的な第四楽章、起点に回帰するように第五楽章に終着する。土臭く人間臭いシチリア的なバルトーク。とても新鮮でした。

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この日のプログラムは、初めから最後まで「死と生」がテーマ。そう気づいたのは、後半のシューベルトが鳴り始めた瞬間のこと。

思えば、このプログラム前半は、後半のシューベルトのための伏線というべきものだったのではないでしょうか。イタリアの風土に照らし出される彼らの死生観というべきものがシューベルトに塗り込められている。《死と生》といっても、中欧以北と地中海とではまったく違う彩りなのだと、ここでやっと気づいたということ。中欧正統ロマン主義が、死への恐怖、終末への畏怖、犠牲と救済ということならば、クレモナ四重奏団のそれは、情熱の究極としての死というものなのだという気がします。自らの尊厳を守るための選択としての自死、愛に生き歌に生きる、地の果てまでも堕ちても愛を貫く、――まさに、プッチーニ的な愛。死とは生の成就そのものだと高らかに歌い上げるシューベルト。

素晴らしいシューベルトでした。



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サルビアホール クァルテット・シリーズ186
クァルテット・ディ・クレモナ
2024年12月17日(火)19:00
横浜市鶴見区民文化センター サルビアホール
(C−6)

プッチーニ:弦楽四重奏のための「菊」
バルトーク:弦楽四重奏曲 第4番 Sz91

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.8101「死と乙女」

(アンコール)
J.S.バッハ:「フーガの技法」BWV1080より
 コントラプンクトゥス 1
 コントラプンクトゥス 9


クァルテット・ディ・クレモナ
 ヴァイオリン:
  クリスティアーノ・グアルコ
  (Nicola Amati, 1640)
  パオラ・アンドレオーリ
  (Paolo Antonio Testore,1758)
 ヴィオラ:
  シモーネ・グラマッリャ
  (Giovanni Paolo Maggini "Joyce",1625)
 チェロ:
  ジョヴァンニ・スカリオーネ
  (Dom Nicola Amati, 1712)

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