青木尚佳の紀尾井レジデント・シリーズの第2回。
"Fantasy"と銘打って、「幻想曲」ばかりをずらりとならべたプログラム。CDアルバムにせよこういうプログラムはいくらでもある。表面的には、Sのイニシャルの作曲家の作品でそろえてあるそうだ。しかし聴いてみると、心底から新鮮な感動を覚えた。演奏の奥深いところから青木の言い分が聞こえてくるような気がしました。
まず、いきなりのシェーンベルク。
そして、10分弱ほどのシェーンベルクから、休まずにそのまま続けてのシューベルト――この前半は圧倒的でした。
極度に抑制された実に密やかな音楽。これだけの難技巧の曲を、これだけの幽玄に満ちた音楽として演ずるのは並大抵ではない。ピアノのクズネツォフも同様で見事な音量バランスだ。細やかで密やかでありながら、明瞭な音の断片は、まるで極細のスレッドで編み上げられた文様が透けて見える。ときには音が分断し散乱し、時には、それらが繋がって透かし彫りのように濃密なロマンチックな旋律も感じ取れる。そこから浮かび上がるのは、世紀末に熟成しきったウィーン文明の栄華の幻影のような気がします。優雅の極み。
青木は、微かに起こりかけた拍手にも弓を下げず、そのまま静かにシューベルトに移行します。この効果が素晴らしかった。シェーベルクが放った新たな光が、シューベルトに放射すると、そのシューベルトが同じようにウィーンの幻影と幽玄の世界にそのまま漂いだす。
「幻想曲」というと、どうして即興性技巧をひけらかす外向的な音楽になりがち。このシューベルトも、あの有名な変奏曲での技巧的な高揚感を誰もが期待するのではないでしょうか。けれども、青木はそういう表面的な音楽にはしない。ボーイングは細かく正確でありながら奇跡的に羽毛のような軽さ。その優雅な幻想は、まさに夢か現か……我を忘れて聴き入りました。
まさに、圧巻の前半でした。
当初予定の休憩の位置が変更され、ここでいったん演奏を切ったのも効果的でした。前半は二曲だけ。時間的にはアンバランスですが、そこには明確な青木の企図が感じさせるものがあって、シェーンベルクの演奏が投げかけた光量は、かえって後半でも衰えず独特の「幻想曲」の幻影の世界を照らし出します。
イニシャル"S"の縛りが絶妙な音楽の列を作る。シューマンの幻想曲は、ヴァイオリン協奏曲と対のように作曲された曲ですがが、幻想曲となったとたんい実に歌の豊かな優雅でロマンチック。観念や難渋なリズムの輻輳にとらわれず自由になったときのシューマンののびのびとした叙景的な幻想があります。サン=サーンスは、さらに現世的な度合いが強いのですが、伴奏がハープということもあって、優雅で天国的な色彩のなかで哀愁や幽玄という幻想の立体感を高めていきます。前半の、極端の線の細さは後退し、中細ともいうべき筆致に変化しているのは青木の音作りなんだと確信します。
最後のサラ=サーテは、前半のシェーンベルクとシューベルトの閃光に照らし出された、幽玄の世界。ありがちな己の超絶技巧を証明しひけらかすような演奏とはまるで違う。超絶技巧のパッセージにもいささかの冷静さを失わず、俗っぽいアゴーギグは一切入れない。抜けるような弓遣いと精緻を凝らしたフィンガリングが、俗っぽい演奏とはまるで違った高揚へと誘う。それは、グランド・オペラの栄華、文化花開くパリやウィーンさんざめき、そこで躍動するエキゾチックなロマの音楽や舞踏がまるで目の前に投射されたかのような幻想の世界です。
最後の一音を弾ききっても、大見得を切るようなポーズはいっさい取らない。
第1回のイザイの無伴奏という魔神を調伏してしまったかのような青木が、幻想曲というジャンルの内面世界を掘り下げて、その新しい様相を示した挑戦的なリサイタルでした。
紀尾井レジデント・シリーズ ��
青木尚佳(ヴァイオリン)(第2回)
2024年12月6日(金) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階8列13番)
青木尚佳(ヴァイオリン)
ボリス・クズネツォフ(ピアノ)
早川りさこ(ハープ)
シェーンベルク:幻想曲 op.47[シェーンベルク生誕150周年記念]
シューベルト:幻想曲ハ長調 D934
シューマン:幻想曲ハ長調 op.131(クライスラー編)
サン=サーンス:幻想曲 op.124
サラサーテ:カルメン幻想曲 op.25[サラサーテ生誕180周年記念]
(アンコール)
シューマン:夕べの歌op.85-12
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