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2024年06月22日11:01

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「大楽必易」(片山杜秀 著)読了

音楽評論家・片山杜秀の伊福部への愛はただなるものがある。

小学生の頃に観た怪獣映画の音楽に魅せられ、大学三年の時に世田谷・尾山台の伊福部邸を初めて訪ねて以来、まるで入り浸るようにして40年以上も作曲者との対話を続けたという。

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「自伝」の下書きのまとめ役のつもりでインタビューを重ねた。「自伝」はついに実現しなかったが、本書はいわばそれに代わる評伝エッセイ。膨大なインタビューの聞き書きが引用されている。

クラシック音楽では、作曲家と同じ時代を生きて時空をともにすることなど、まずはあり得ない。本書は、単に特定の作曲家への一方的な偏愛を書き綴るという主観的、独善的なものではない。そこには、昭和という時代と、北アジアの民俗音楽と西欧近代自我との相克がしっかりと書き込まれている。

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「大楽必易(たいがくひつい)」とは、司馬遷『楽書』にある言葉。偉大な音楽は平明なものという意味だそうだ。短い音階ともいうべき単純な音型から、コンチェルトやカンタータなどの大曲を紡ぎ上げる作曲者のモットーだったという。

伊福部昭というのは、日本の正統音楽アカデミズムの主流からはおよそ遠かった存在。北海道帝国大学の林業科を卒業し営林署勤務のかたわらに作曲するといういわば「日曜作曲家」。在学中から海外の作曲家に認められ賞まで取ったが、東京の楽壇とはずっと距離を置いた。いや、むしろ東京を敵視していたという。

「外来の盲目的追従はまだ許せるにしても、…髪を脱色してまでも、ブロンドを真似ようとするあの女達」になぞらえて、「西欧の普遍の物真似」をして、そこに「定評」があると信じ、勝ち馬に乗ろうとドタバタしているばかりの日本の多数派の芸術家を揶揄するように語っていたという。

伊福部の原点は、北海道。それもとびきりの辺境で育った。アイヌとの混住で得たものも多いが、札幌などには白系ロシア人も多くいて日常的に北東アジアの音感や楽器の触感に触れて吸収した。伊福部を認めたチェレブニンもロシア人。コーカサスで暮らし、アジアの伝統音楽に触れて、近代西洋音楽の終焉を強く意識していた作曲家のひとり。チェレブニンは、伊福部にリムスキー・コルサコフの管弦楽法を徹底的に学ぶように薦めたという。

伊福部は、民俗派だと言われる。が、それは表向きのこと。むしろ、その楽想は北アジア全体を包摂し、さらにはユーラシアを通じてスラブともつながる。モーツァルトが西欧近代の音楽理論を純化させた「音階の音楽家」と言えるなら、伊福部はその鏡写しのような音楽家。西欧近代が切り捨てた土着的旋法の下降音階と七拍子などの変拍子に徹底してしてこだわった。

「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシドシラ」という『ゴジラ』音型が子供に訴えかけたのは偶然ではない。そこには、モーツァルトとは真逆の下降音階と偶数・奇数を組み合わせた九拍子という変拍子がある。伊福部のポスト近代主義が、怪獣映画という純音楽正統の辺境で見事に童心を捉えたというわけだ。

昭和という時代を、北海道や樺太・アムール河畔、シベリア、ロシアという辺境から見た現代文化史としても抜群に面白い。




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大楽必易
わたくしの伊福部昭伝

片山杜秀
新潮社
2024年1月30日刊
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