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2023年09月29日11:26

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URまちとくらしのミュージアム

URであ〜る♪

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赤羽駅を見下ろす高台にUR都市機構(旧・住宅公団)の団地があります。その一角に新しく「URまちとくらしのミュージアム」がオープンしたのでさっそく出かけてみました。

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旧・赤羽台団地は、昭和30年代後半に都市部のモデル団地として誕生。公団住宅として当時では23区内最大の大規模団地でした。

先駆的な住棟配置や多様な間取りが導入された団地で、赤羽駅を見下ろす崖線部分には、Y字型の通称・スターハウスという特徴ある住棟が建てられるなど、団地建築の聖地。

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数年前にリニューアル開発が進められ、今ではヌーベル赤羽台と生まれ変わりましたが、スターハウスが登録有形文化財として保存が決まったことから、そこに隣接してミュージアムが建設されました。八王子にあったURの集合住宅歴史館の資料もこちらに集約されて内容はとても充実しています。

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物心ついた時には、すでに鉄筋コンクリートのアパート住まい。以来、ずっと団地住まい。就職してからもやはり社宅住まいですから、団地族のはしりであり、ずっと団地族でした。だから懐かしいことこの上ない。

戸建てに住む同級生をうらやむことしきりで、団地住まいは貧乏人と思い込んでいました。こうやって団地の歴史をみると、団地とかアパート住まいというのはけっこうモダンライフの先端だったようで、なるほどと我が生い立ちのライフスタイルを思い返してしまいました。

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団地庶民の自慢は、やはり、何と言っても《水洗便所》でしょう。正直言って、ボットン便所住まいはほぼ記憶にありません。親戚の家などに泊まりがけで行くと、家中に染み渡る臭いが嫌だったし、鼻をつまんで暗い穴の奥をのぞきこんでそこにまたがることを躊躇したりしていました。

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今回、目からウロコだったのは《食寝分離》ということ。

戦前の庶民住宅は畳敷きの和室で、昼間はちゃぶ台を囲む居室で、夜の食事が済むとちゃぶ台をたたんで布団を敷いて寝るという具合に変幻自在。震災復興後に建てられた同潤会アパートにはまだまだそういう間取りが残っていますが、戦後になって、集合住宅の建設が進められるにあたって提唱されたのが、2DKとか3DKといった間取り。テーブルを置いたリビングダイニングと寝室を分けた最小限の間取りでした。

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なるほど、自分はまったくそういうライフスタイルで育ったわけで、狭いながらもテーブルと椅子で食事をしたり、そこを勉強机がわりにする生活に何の不思議も感じずに育ったわけです。そのすぐ横に長椅子のソファを押し込み、食事が終われば家族がぎっしり並んで白黒テレビを観ているという毎日でした。来客があればそこが応接スペースといった具合です。

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銭湯通いというのも知りません。内風呂が当たり前。とはいっても台所とか玄関口の横に風呂場があって脱衣スペースなんか無い。台所の片隅で家族みんなそれぞれすっぽんぽんになっていました。さすがに思春期になって小さなカーテンをぶら下げたりしていましたけど。

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古いトースターとか魔法瓶、電気炊飯器とか、食器棚、あるいは居間のクローバー扇風機、小ぶりの引き出しタンスとかがとても懐かしいです。こういった小道具は、太秦の映画セットを払い下げてもらったものだそうです。

日本の都会生活って、こんな風に変わっていったんだなぁと、なかなか楽しいミュージアムです。庶民目線の建築史ということでも面白さ満載でした。
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