意外感といってもよいほどの、どこか新鮮ですがすがしい、何かふとつきものが落ちるかのような読後感がある。
「事大主義」と言えば、韓国併合に至った朝鮮の混迷ぶりを見下す言葉として記憶している。政治姿勢に本来の主体性や自立性を欠く卑屈な態度というネガティブな評価。それは国民性そのものとまで決めつけられた。私の世代でも歴史を学ぶ過程で、確かにそこには「事大党」というものが存在し、その蒙昧がついに亡国たらしめたと教わった。
その認識は決してお門違いということではなかったようで、本書によれば、この語は、朝鮮に開国を迫り、中国への依存からの脱却を迫った日本が、冊封体制の遺風に執着し近代化へと脱却しようとしない当時の朝鮮に苛立って投げつけた新造語だという。その言葉を造りだしたのは、誰あろう福沢諭吉だというのだ。
もともと「事大」とは「大に事(つか)える」という『孟子』の一節にあるという。いわば儒教的安全保障論ともいうべき語。これを説いた孟子は受け入れられなかったが、中国大陸を支配する統一国家が成立、成熟するにつれ、この論も権威化され、中国大陸国家を中心とする国際秩序の維持原理となる。『中華思想』の根幹であり、『冊封体制』という二国間の宗属関係の外交原理となる。つまり、「事大」は、中華の国際支配原理であり、周辺国にとっては儒教文化圏に入ることで自国の安寧を図る行為というわけである。
文明開化に成功し、欧米列強の支配を免れて自信を深めた当時の日本は、華夷思想に与しなかった自国の歴史をそのことに重ね合わせて、守旧に頑なな隣国を侮蔑してこの語に「主義」を加えて造り出した。それは、韓国併合の正当化にも使われる。
本書の真骨頂は、ここから始まる。
軽侮・侮蔑の語は、当然にそれを投げつける他者を想定している。その他者の存在を喪失すると、それは自己へと向かい、自らを否定する自虐・自卑の語となるという。韓国併合により他者としての朝鮮を喪失すると、「事大」の語は、日本人の島国根性を指す語として矛先を変えて内に向かう。そういう自主性や自律的思考を欠いた日本の後進的な国民性を説くのに「事大」を盛んに用いたのは、これまた誰あろう「民俗学」の創始者・柳田国男だという。
「事大主義」は、柳田によって特定の党派の政治姿勢にとどまらず、民族の習俗性質にまで格上げされてしまう。柳田は、何よりも未成熟な日本の民主主義を憂い、政治の付和雷同に危機感を抱いていたのだが、それが日本の地勢原理に根ざす島国根性の問題で、これを矯正するのは教育しかないと考えた。農商務省の官吏だった柳田の民俗学は、そういう「国民性」の実態を明らかにするためにこそ意義を求めたのだという。
これは、日本が狂奔暴走の末に壊滅した戦後に、新たな形で復活する。それが「一億総懺悔」という「悔恨共同体」の成立だ。日本人は、軍部の無謀とこれに迎合した人々の責をいっさい棚上げにして、すべてを自らの国民性に帰した。この「一億総懺悔」は、敗戦の8月15日に成立した東久邇宮内閣の所信表明演説に早々に出来した。これに続く戦後の論調は、まさに「事大主義」の語であふれ、高度経済成長の実現によって「悔恨」を克服するまで続いたという。柳田も改めて、戦後に政府要人として復活し、亡滅の因を国民性に帰して戦後の「公民教育」の旗を振る。
著者は、さらに沖縄問題にも言及する。琉球(沖縄)に投げられた差別の根底には二重朝貢という「事大主義」への不信と軽侮の決めつけがあり、それはやがて沖縄人自身の自虐・自卑に転化し屈折した県民感情を形作っているという。
侮蔑と自虐の構造は、朝鮮半島にも継承された。支配の正当化の論理だった「事大主義」はやがて、自国滅亡の正当化という自虐にも転化する。このことは韓国国内の政治風土や、南北の冷戦対立の論理にも組み込まれ、分断国家の政治や国民感情に深く浸透する。自卑の裏返しは自尊であり、そこにはやはり対立する他者がいる。北の金日成と南の朴正煕は、互いに米ソ冷戦体制への隷属と自主性の欠如を非難し合い、自国の自主性とその成果を誇示しようとした。金日成の「主体(チュチェ)思想」とは、なるほど、事大主義の裏返しだったのだ。
著者によれば、この構造は、戦後日本に肥大した朝鮮・韓国への感情的わだかまりにも根深く巣くっているという。例えば、在日韓国・朝鮮人に対しては、戦後の不法行為に対する悪感情とともに逆境に立ち向かう「にあんちゃん」といったポジティブな感情も同じ程度に存在するという。おそらく嫌韓・韓流といった好悪尊卑の裏表は、韓国側の反日感情にもあるのだろう。
「事大主義」の語義と用法の変遷から、東アジアの複雑な近現代史が浮き彫りにされている。
事大主義
――日本・朝鮮・沖縄の「自虐と侮蔑」
室井康成著
中公新書
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