ベルチャSQを聴いたのは、もう10年近く前のこと。その真摯で厳しいたたずまいの音楽に清新な風を聴いたというのがその時の感想で、ちょうどアルバン・ベルクSQが解散した直後でもあり、それを引き継ぐ世界トップのクァルテットであることを確信し、むしろ、バルトークの演奏は、師匠のアルバン・ベルクSQをすでに超えているという強烈な印象を残しました。思った通り、その後の活躍は目覚ましく、日本での人気も大変なもの。
そのベルチャが紀尾井ホールにまたやってくるというので、半年以上も以前からチケットを買って、パグ太郎さんをお誘いしてでかけました。
当時のメンバーとは入れ替わっていて、創設時の中核であるヴァイオリンのヴェルチャとヴィオラのホジェルスキーの二人だけで、他の二人は私にとって新メンバー。英国王立音楽大学の同窓生で結成されたとはいえ、それぞれに国籍を異にしていて、その多様性の調和が見事だという印象だっただけに、メンバー入れ換えでそれがどのように変成しているのかが、いざ生で接してみるとどうなのか、怖いような、あるいは、楽しみのような、そんな気持ちで開演を待ちました。
最初のモーツァルトには、ああ、ベルチャは変わったなぁ…という思い。
切れ味がシャープで厳しい音楽…そういうイメージが強烈にあった私のベルチャだったのですが、モーツァルトから吹いてくる風は頬に優しく暖かい。柔らかでとろっとしたアウフタクトのアゴーギグはいかにもウィーン風で透明な甘味を帯びています。「プロシャ王」は、チェロが活躍する曲ですが、10年前に聴いたときも同じようにチェロの活躍するベートーヴェンの「ラズモフスキー第一番」だったのでした。そのチェロの高い美しいカンタービレと内声部をしっかりと支える深みのある低域は、オリジナルメンバーの時のバランスと同じです。違うのは、第二ヴァイオリンで、オリジナルメンバーはトップふたりの寒暖や剛柔の対比や絡みが面白かったのですが、現メンバーのシャハーは完璧なまでにリーダーのベルチャに寄り添い、そのヴァイオリンはさながらドッペルゲンガー。ベートーヴェンとモーツァルトとの違うもあるのでしょうが、緊密さを増したアンサンブルによってその透明なまでの寂寞と美しい孤独感に満ちたモーツァルト晩年の平穏でシンプルな響きが心地よいまでに心に浸透してきます。
その変わったという思いが一変したのが、バルトーク。
10年前は、第1番でしたが、その明晰なアナリーゼのなかに、美しいまでの情感と熱い情熱が漲るロマンチックな高揚感に、ともすれば《前衛》というフィルターで見ていたバルトーク像が一変したのですが、そのことは全く変わっていない。しかも、この第6番ではそういうベルチャのバルトークが一段と進化しています。バルトークは、ナチ枢軸に加わったハンガリーがますます右傾化し戦時色が強まる中で、民俗音楽研究の自由を求めてアメリカへと逃れる。その決心を促したのが老母の死でした。そういう閉塞と凋落の悲哀、死への哀悼、逃亡の喧噪、亡滅の絶望とを、ひとつの一貫した主題だけで楽章ごとに変質変成させ混淆させていくこの曲は、第1番とはまったく違いますが、それだけにベルチャのバルトーク演奏のすさまじい深化を感じました。沈黙の結部は、客席そのものが虚空と静寂のなかに静まりかえります。
休憩をはさんでのメンデルスゾーンが、まさにベルチャの新境地。
この曲は、優美なメンデルスゾーンが人格的に壊れてしまったかと思わせるほどの悲劇的な曲。着手したのは1847年7月のこと。2ヶ月前に最愛の姉ファニーを亡くし、作曲にとりかかって完成させるのに2ヶ月かかり、そしてその2ヶ月後に自身も姉を追うように他界してしまう。感情が爆発するかのように不穏で悲劇的で暗い。中間のアダージョ楽章は、息をするのもはばかられるほどの悲痛な瞑想。完璧で厳粛なアンサンブルと技巧で、いかなる細部をもおろそかにしない緻密さで、こういう激しく、情感をぶつけゆさぶるロマンチシズムは、メンデルスゾーンにとっても弦楽四重奏曲というジャンルにとっても奇跡的なものだと思いました。
全プログラムを終了するまでで、すでに9時を回っていました。その密度の高さに時間の過ぎるのが速く感じたのは事実ですが、そのあとのアンコールが素晴らしかった。
ベートーヴェンのあの静けさ、ショスタコーヴィチの破天荒なまでの自暴自棄。いずれもこの日のプログラムに共通する《死》とか《悲劇》とかの表裏にある諦念と狂躁との明暗の激しいコントラストでした。
こんな凄い音楽体験ができるということに、かえって不吉な影が身の回りの暗がりに落ちてはいないかと不安になるほどに深い至福を感じた夜となりました。
なお、この夜はNHKのカメラが入っていました。BSプレミアムの3月21日早朝「クラシック倶楽部」で放送予定。おそらくいずれFMで放送されるでしょうから、それも楽しみです。
クァルテットの饗宴2018
ベルチャ弦楽四重奏団
2019年2月1日(金) 19:00
(2階BR 1列25番)
ベルチャ弦楽四重奏団
コリーナ・ベルチャ(ヴァイオリン)
アクセル・シャハー(ヴァイオリン)
クシシュトフ・ホジェルスキー(ヴィオラ)
アントワーヌ・レデルラン(チェロ)
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第222番 変ロ長調 KV589「プロシャ王第2番」
バルトーク:弦楽四重奏曲 第6番 Sz.114
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80
(アンコール)
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番より第5楽章カヴァティーナ
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番より第3楽章
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