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2018年05月09日11:38

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「クレズマーの文化史」(黒田晴之 著)読了

◆スイングの王様・ベニー・グッドマンのカミングアウトとは?

◆ジョーン・バエズの「ドナドナ」はユダヤの歌だった?

◆トニー谷、クレージーキャッツのお笑いのルーツは?


ロマやユダヤの音楽の歴史を渉猟していてついにここまでたどり着いてしまいました。

もともとはクラシック音楽におけるそうした無国籍な民俗音楽の影響の道筋をたどるというのが私の興味でした。その最後の下流域に当たるのが20世紀半ばに至るまでの、アメリカへのユダヤ人の流入でした。

ところが、それはもうクラシック音楽という狭い世界に留まるものではなくなってしまい、ジャズやエンタテインメント、あるいはフォークミュージックの反戦・メッセージ音楽などへと川幅を一気に広げて、二十世紀音楽の大海へと注ぐ一大河口の世界となってしまいました。

クレズマー(Klezmer)というのは、東欧系ユダヤ(イディッシュ)、アシュケナジムの民謡をルーツに持つ音楽ジャンルと言われています。もともとは、そういうユダヤ人の音楽師たちを指していました。いわば「屋根の上のヴァイオリン弾き」、あるいはシャガールの絵画に描かれた「緑のヴァイオリン弾き」や結婚式の楽団たちの世界です。

アメリカに流入したそういう音楽家の起源は、大きくは次の3つだと言われています。

1.ポグラムなどユダヤ人への集団的迫害に耐えかねてロシアを脱出したユダヤ人
2.革命を嫌って白系ロシア人とともにロシアから逃れてきたユダヤ人
3.ナチスから逃れてきたユダヤ人難民

クレズマーの家系の子弟は、すでに19世紀末には正統音楽教育を受けるようになっていて、そうした音楽家たちは分化してクラシックの名手・巨匠として音楽界に受け入れられています。ウィーンやブダペストなどハプスブルクの領内や、ポーランド、あるいはロシア領内ウクライナのオデッサから錚々たるユダヤ系音楽家が育ちます。

それとは裏表を成す形で、アメリカの新しい音楽文化を形成していくのがクレズマーやその移民二世、三世ということなのです。

当初、こうしたクレズマー音楽家はあくまでもユダヤ人コミュニティの中で活動していました。いわば閉じられた民族文化空間での活動でしたが、それはやがてアメリカ独自のクレズマー音楽となっていき、さらには種子や胞子が飛び散るように外部へと密やかに拡散していきます。

ベニー・グッドマンはその最大の成功者。彼はシカゴの貧しい移民家庭に生まれ無料で学べる地元の音楽教室でクラリネットを習得します。ついには1938年カーネギーホールで初のジャズコンサートを開き「スイングの王様」と称されるまでに大成功を収めます。実際、当時のビッグバンドやスタジオミュージシャンには多くのユダヤ系音楽家がいました。

その彼も当初はユダヤの出自を隠していました。ところが「バイ・ミーア(素敵なあなた)」でカミングアウトする。東欧系ユダヤ人の言葉であるイディッシュ語は、古いドイツ語にヘブライ語やスラブ語の単語が入り混じるクレオール言語(混成語)の一種ですが、“BEI MIR BIST DU SCHON”というドイツ語のような響きの不可思議な原題は、実はイディッシュ語だったのです。

あるいは私たちの世代なら誰でも知っている「ドナドナ」は、1961年ジョーン・バエズが歌って世界的に大ヒット。日本でも65年にザ・ピーナッツが「ドンナドンナ」として歌っています。市場へ売られる哀れな仔牛を歌ったこの歌は、強制収容所へ連行されるユダヤ人に見立てた反戦歌のようにも言われますが、実はウクライナ生まれのクレズマーがホロコースト以前の1930年代に作曲したもの。フォークソングという民衆性を象徴するためなのか、誰からともなく歌われるようになった「作者不詳」の曲として流布しました。

この「ドナドナ」が、戦後世代の私たちに何の音楽的な違和感もなく受け入れられたのは、すでに戦前に上海のジャズ音楽など、こうしたクレズマーたちが拡散した種子や胞子の洗礼を受けた日本人の音楽家が戦後のポップ・シーンの背景にいたからだと著者は言います。

そして、その底辺を支えたのもクレズマーの系譜を引き継いだボードビリアンの世界。日本でその潮流をいち早く取り入れたトニー谷やクレイジーキャッツはそのシンボルのような存在だと言うわけです。本書の後半に詳述されるアメリカのコメディアン、ミッキー・カッツの物語は、アメリカのユダヤ系移民の精神史としてもなかなか読み応えがあります。




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クレズマーの文化史: 東欧からアメリカに渡ったユダヤの音楽
黒田 晴之 (著)
人文書院

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