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2018年04月05日00:36

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スカラ座のポリーニ (ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす 最終回)

スカラ座の様々な顔を楽しんだ音楽三昧もいよいよ最終夜。それは音楽三昧の旅の最終夜にふさいわしいという意味でも最大のクライマックスでした。

オペラ上演というだけに限らないスカラ座の全く違う相貌はまさに七変化。私たちの最終夜は、ピアノ・ソロ・リサイタル。オペラ座でのリサイタルというのは、通常のコンサートホールとは違った華やかなイメージがあります。これだけの空間を満席にできる演奏家は滅多にいませんから、こうやってソロ・リサイタルを演ずるのはスターの証しですし、それが近代的な大ホールではなくて伝統のオペラハウスということでもどこか色めき立つようなものがあります。

しかも、この夜は、ポリーニ。

ポリーニのスカラ座でのリサイタルは特別な意味合いがあることを実感します。そして、それはスカラ座とその聴衆にとっても特別。

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私たちの世代にとってポリーニは、他のピアニストとは違ってやはりその人気は格別なものがあります。1960年ショパン国際ピアノコンクールにおいて18歳の若さで優勝。1歳違いのアルゲリッチが優勝するのは、その次の回ですから5年後のことになります。その後、10年近く表だった演奏活動は控え、本格的なメジャーデビューは、1971年にDGとの専属契約直後に録音したストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3章」と、翌年のショパンの「12の練習曲Op.10、Op.25」。いずれも空前絶後の超絶演奏として私たちに鮮烈な印象を与えました。音楽評論家の吉田秀和氏が絶賛、74年の初来日ですでにその人気は騒然たる盛り上がりとなった。

こうした日本での人気は、アルゲリッチやアシュケナージよりも一足遅れたタイミングでしたが、この後、ショパンやシューベルト、シューマンなど矢継ぎ早に録音が続きいずれも大ヒット。ちょうど学生から社会人になったばかりの私にとっては、そうした大作曲家の重要なレパートリーを一枚、一枚、大事に選んで買い求めていく時にあたっていたので、そういうものがことごとくポリーニのレコードになったのです。

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なかでも、シューマンは自分の覚えたてとポリーニのレコーディングが重なっていたために格別。ポリーニのシューマンにはどこかとても新しいものがあったし、シューマンを聴くのならそういう新しいシューマンを聴きたいと思ったのです。

この夜は、そういうポリーニと私の一丁目一番地のようなシューマンとショパンのプログラム。

ステージ設定は、基本的にシンフォニーコンサートの時と変わりません。背後には大きな木質パネルがあって、ステージはオーケストラピットを覆うように客席最前列まで張りだしているというのはオーケストラコンサートの時と同じですが、壇もなくたった1台のピアノが置いてあるだけですからとてもシンプルでひときわ地味。

楽器は、ポリーニ愛用のアンジェロ・ファブリーニがカスタマイズしたスタインウェイ。

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1曲目は、「アラベスク」。そして「アレグロ」が続く。

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聴いていてうれしくなった。ポリーニは少しも変わらない。1942年生まれだからもう76歳になる。近年は技巧の衰えもささやかれ、ほんの2、3年前の新聞の辛口評では老齢のため技巧が不安定だった(“There were technically shaky moments now and then”2015/10 NY Times)とさえ評されましたが、この夜は少しもそんなところはありませんでした。確かに、かつてレコードで聴いた颯爽とした燦めきさんざめくような若さは感じられないし、スカラ座のかなりデッドな響きとかぶりつきの席のせいもあってかなり堅い実直な音色ではあったのですが、けれども、いかにもポリーニらしいタッチのシューマン。

選曲にも、いささかの年齢も感じさせない挑戦的なもの。

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「管弦楽のない協奏曲」も、私が聴いてきたCDと寸分も違わない。

シューマンというのは羅列とさえ思えるようなピアノのメカニックな技巧が正確に演奏されてこそ、そこから初めて作曲家が意図した感情が浮かび上がってくるというようなところがある。しきつめられた点から、立体的な絵が浮かび上がるスラーの点描法に例えてもあながち的外れではないだろう。そういう技巧の正確さから浮かび上がる感情ということがポリーニの真骨頂。そこが少しも変わらない。若いシューマンによるオリジナル版での演奏ということでもそのこだわりは全くぶれることがありません。

ショパンでは、そういうメカニカルで精工な技巧と、詩情や感情ということの前後関係が逆転します。

作品55の2つのノクターン。匂い立つような叙情にうっとりします。1曲目が終わったところで拍手が起こります。ポリーニは、ふと手を止めて軽く会釈をしただけで2曲目を続けます。この日のスカラ座の聴衆はそういうマナーの洗練さにはいささか劣ります。楽章間の拍手が起こりかけたのは、シューマンの時も同じ。周囲が「シーッ」と制止する、そういうやりとりが2、3度あって次第に落ち着いてきます。そういうことは欧州のコンサートシーンではよくあることなのですが。

そのショパンの詩情あふれるピアニズムに隠された技巧が透けて見えてくるのがポリーニ。かつて吉田秀和氏は、ポリーニを絶賛して

「…音の安定度――最初の音から最後の音まで、がちっと立っており、一点のあいまいさもなく、どの音も正しい位置におかれていて、一度おかれたのちは身じろぎもしないという感じ――と、それから、燦然たる無謬の技巧の冴えであり、精密な正確さである」

と語っています。まさにそのことが50年近く経って70歳台半ばになった老ポリーニは少しも変わっていないし、変わろうともしていない。

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そのことは、最後に演奏された大曲・ロ短調のソナタで、冴えに冴えわたります。確かにかつてレコードで聴いたポリーニの『燦然たる無謬の技巧の冴え』というような光り輝くものではないかもしれませんが、『精密な正確さ』は同じ。そこにこそポリーニの内省的な思索が深く沈み込んでいる。そういう演奏スタイルは変わらない。それだけにショパンの湧き上がるような感情の高まりが聴衆を圧倒しスカラ座の空気はどんどんと温度を上げていきます。

フィナーレを迎えて、スカラ座は総立ちのスタンディング・オベーション。

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この4夜のなかで最大の盛り上がりです。聴衆が総立ちになるということがヴェルディのオペラでも新プロダクションのプレミエでも、総勢100名を超える大編成のマーラーでも起きなかったことが、このたったひとりのソロ・リサイタルで巻き起こるのです。

ポリーニは毎年この時季にヨーロッパツアーに出かけていきます。今年もこの後、ベルリン、ロンドンでも同内容のプログラムでのリサイタルが予定されていました。たぶん、そいうツアーの出発にあたってスカラ座で演奏することが恒例化しているのではないでしょうか。そのことが音楽好きなミラノっ子のお祭りのような楽しみになっている…そんな雰囲気さえ感じさせます。

アンコールは2曲。いずれもショパン。

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2曲目のアンコールで「木枯らし」が鳴り出したとき、思わず涙ぐんでしまいました。この曲は大好きで、ポリーニのレコードをくり返しくり返し聴いた思い出。私にとってはまさに我が青春のポリーニそのもの。老ポリーニがそれを変わらず微笑みながら眼前で弾いてくれる…そのことに喜びが胸いっぱいに広がっていきました。

(終わり)



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マウリツィオ・ポリーニ演奏会
2018年2月26日(土) 20:00
イタリア・ミラノ市 スカラ座
(1階左ブロック“Platea Sinistra)H列17番)

シューマン:アラベスク ハ長調 Op.18
      アレグロ ロ短調 Op.8
      ピアノソナタ ヘ短調(『管弦楽のない協奏曲』1836年版)

ショパン:2つのノクターン Op.55
     ピアノソナタ第3番 ロ短調 Op.58

(アンコール)
ショパン:スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op.39
     練習曲 イ短調 「木枯らし」 Op.25-11

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