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2018年03月28日14:08

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「バルトーク」(伊東信宏著)読了

著者が『はじめに』で断りをいてているように本書は『作曲家バルトークの伝記ではない。』

ここで登場するバルトークは民謡の発掘・採集とその分析研究というものに文字通りその全人生を消尽しつくした民俗音楽者としてのバルトークだ。

内容はその意味で極めて専門的。西欧音楽のマニアックな愛好家といえども、中東欧の民謡や民俗音楽研究史について基礎知識や強い関心を持っている人は希であろう。しかしそうであっても19世紀以来のロマン派音楽の中に脈々と流れる民族主義の系譜に潜む中東欧農村の民謡とその媒介的伝承の役割も担ったジプシー(ロマ)音楽や、リストに始まるいわゆる“ハンガリーラプソディ”成立の秘話、あるいは近現代の前衛とのかかわりなどについて興味深い内容となっている。

バルトークの《作曲家》としての系譜をだどったものでもないし、バルトークの《伝記》でもない。あくまでも《民俗音楽者》としてのバルトークの足跡と経緯をたどったものだというのはその通りで、バルトークの楽曲紹介も皆無。だけれども、間接的に作曲家バルトークとは何者だったのか、バルトークの曲とは私たちにとって何だったのかということが実は切実に迫ってくることも確か。そのことが本書の面白さ魅力でもある。

バルトークの楽曲は、戦後世代にはよく知られたもので、特にポスト安保闘争世代や全共闘崩れといった団塊世代にはひとつの知的なステータスシンボルだった。私自身、ずいぶんと粋がって弦楽四重奏曲だの無伴奏ソナタだの背伸びして聴いた。複雑なリズムや特異な和声の響きに耳を傾けるふりはしていても、実は、ちっとも理解できず高い緊張の連続にも耐えきれず心の中には耳栓をしていたようなところがあった。それでもバルトークを聴いたことがあると言えば、知的前衛に立っているような気がして自慢した。

本書を読むとそういうバルトークの“前衛”という幻想や“難解”という既成観念が次第に氷解し、頑ななまでに真っ直ぐで、けれども極めて慎重で、なおかつ勤勉に「人間性」を追求し続けた音楽家であり、彼の音楽のそういう《人間的なもの》が聞こえてきて胸に落ちるところがある。シュトラウスなど先端的な作曲技法に影響されながらも、その語法には不器用なまでに土俗的根源性を求めていた。それが「民俗音楽家」としてのバルトークなのだと。

バルトークの政治性とキャリア人生の悲劇ということも同じ。バルトークはコダーイとともに若くしてブダペスト音楽院(現・リスト音楽院)の教授となり、コダーイは第一次大戦敗戦後の混乱期の左翼政権下では臨時的とはいえ音楽院長にも祭り上げられている。バルトークは、ハンガリー出身のピアニスト・作曲家としてすでにエスタブリッシュメントだった。音楽研究や評論では対立を繰り返したけれども、強い政治信条があったわけでもなく、ましてや反ファシズムの旗手であったり政治的弾圧を受けたわけではない。

一方で、20世紀のハンガリーの政治は混乱と混迷の連続だった。ハンガリー二重帝国体制にあって妥協的な自立を得たものの独立自尊のエネルギーは民族愛国主義的な右翼勢力と人民戦線的な社会主義勢力との抗争に費やされ、反ユダヤの嵐が吹き荒れる。第一次大戦敗戦によってそれまで対立を繰り返してきたトランシルヴァニア地方をルーマニアに奪われるなど領土は3分の1に縮小、ハンガリー人人口の半数がハンガリー国外に取り残される。ハプスブルク帝国の多民族国家の一翼を担ったハンガリーは一気に縮小させられ民族主義国家に純化され右傾化していく。多民族の多様な文化と価値観の共存を信じていたバルトークはいわれのない批判を浴びるばかりか、その活動のフィールドを失ってしまう。

バルトークは“亡命者”ではない。

そういう混乱し自滅衰亡していくハンガリーの悲劇のなかで、民俗音楽研究の場と良好な環境を求めてアメリカへと渡ったに過ぎない。けれども、生真面目で頑なな姿勢はついには悲惨な孤独死とも言える最後を迎える。シェーンベルクやヒンデミットなど他のユダヤ系や反ナチ音楽家同様に作曲科に職を得る道はあったのに(実際にそういうオファーはあった)民俗音楽研究にこだわりそれが招いた生活苦のために妻には去られ、やがて白血病の病魔が襲う。本書は、淡々と記述するが、詳細な悲劇のバルトークといった伝記よりも、かえってバルトークの人格とその晩年の悲劇を生々しく痛々しいまでに伝えている。



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バルトーク
民謡を「発見」した辺境の作曲家
伊東信宏著
中公新書
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