町田のアートスペース・オー。その小さなサロンで児玉麻里さんのベートーヴェンばかりのリサイタルを聴きました。
小さなサロンで聴く音楽は、ある意味でとても厳しい。厳しい間近な生音の持つ裸の音が聞こえてきて演奏者のテクニックやパッションがむき出しになるからです。先月、アキロン・クァルテットの時にも、そういう室内アンサンブルの中でも最もピュアで厳しいのが弦楽四重奏とともにピアノソロだというようなことを書きました。
しかも、そういう厳しさが最も正面から挑んでくるような音楽がベートーヴェンなのではないでしょうか。
児玉麻里さんは、こうやって直接聴かせていただくのは、実は、これが初めて。妹の桃さんは、このアートスペース・オーも含めてもう何度も聴く機会がありましたし、ご夫君のケント・ナガノ氏はわざわざプラハにまで出かけて聴いています。
妹の桃さんともども幼い頃からパリに在住し、パリ国立高等学院で学ぶ。桃さんはフランス音楽を得意とされていますが、姉の麻里サンはむしろベートーヴェン弾きとしての名声が定着しています。実際に、ソナタ全曲演奏会、全集CDなどレパートリーの中心を成している。ちょっと不思議な気もしますが、いかにもフランス的というような繊細で色彩的な雰囲気というよりも、明晰で骨太な芯のある響きという点では二人の姉妹は共通しているような気がします。
この日は、ベートーヴェンの初期と後期を代表するソナタ。
最初の、二つのソナタは「小ソナタ(Leichte Sonate)」と題された学習者のために書かれたと言われる可憐な作品。ある意味で食前酒のようなもので、軽い口当たりで柔らかにベートーヴェンの世界へと導入してくれる。演奏家が、オール・ベートーヴェンを組むときによく1曲目に置くことが多い曲です。
現にこの日のプログラムは、数年前にあのペーター・レーゼルが4年がかりで紀尾井ホールでソナタ全曲演奏ツィクルスを演奏したときの記念すべき第一回のプログラムとよく似ています。
いわば一番易しいソナタと超絶・超難解な「ハンマークラヴィーア」ソナタを組み、その間に聴衆に親しまれる三大ソナタなどの有名なソナタをはさむという構成です。この小さなサロンのコンサートというのは、小さい会場ながらまったく大会場と同等の本格的な内容なのです。数十人の聴衆に「ハンマークラヴィーア」をぶつけるということでも大変なこと。
この日は今にも雨が降りそうな梅雨空の日。空調は効いていますが、開演前の30分ほどは人の出入りで入口が開いていてたっぷりと湿気を含んだ外気が流入してきます。その湿気のせいなのかピアノはちょっと重め。二つのソナタは、それぞれ2楽章ずつのソナタで、児玉さんはほんの一呼吸を入れただけで続けて二曲目に入ります。ピアノの調子はどんどんと上がっていくのが感じとれます。「小ソナタ」と言っても、モーツァルトのソナタとはやはりずいぶんと違って、初期であってもベートーヴェンのかっちりとした構成感があって聴いていても心が引き締まる気がします。
二曲目の作品49−2のメヌエットのテーマは、七重奏曲のテーマと同じ。子供の頃から大好きな曲です。記憶は定かではありませんが、FM番組のエンディングテーマだったので覚えたのだと思います。
どこかとぼけたような田舎ののんびりした雰囲気が好きでしたが、児玉さんのピアノでは、不思議と優美さが正面に出てきます。こういうところがオーストリア・ドイツ系の音楽家とフランス系の音楽家とでは身体に染み込んでいるものが違うという気がします。
三曲目の「悲愴ソナタ」は初期の傑作。ベートーヴェン自身、「大ソナタ(Grande Sonate)」と称し、しかも「悲愴」という標題までつけています。よほどの自信があったのでしょう。先に演奏された二つのソナタとは番号が逆転していますが、1797〜98の作でほぼ同時期の作品。この作品で、ベートヴェンはピアニストとしてだけではなく作曲家としてもその地歩を固めることになります。
児玉さんは、ピアノとしての機能の高さとか、技巧的なものを決して表に出して際立たせることはせず、むしろ最初の二つの小ソナタからベートーヴェンのあらゆる要素を相似拡大したものとして弾いていきます。二つのアネックスを従える二階屋の母屋というような演奏。青年の憂いに満ちた情感がどこかセピア色の単彩色で浮かび上がってきます。
休憩をはさんで後半は、「ハンマークラヴィーア」。
児玉さんは、ピアノに向かうなりいきなり最初の和音を盛大に響きかせて、この長大でまるで大宮殿の迷路のような壮大な音楽のなかに、一気呵成に突き進んでいきます。
同じような前口上の序奏部冒頭の主調和音ですが、「悲愴ソナタ」ではfpとどこか憂いに沈みこんでいるのに対して、「ハンマークラヴィーア」はいきなりの全開のff。迷いがありません。その音の明晰で厳しい音には驚いて思わず腰が浮くほど。サロン備え付けのピアノは中型のヤマハですが、児玉さんの決然とした強靱な打鍵に応えて、少しの濁りもなく確信にあふれた音色で次へ次へと突き進んでいく。
中味の詰まった複雑な意匠ですが、そのひとつひとつのモジュールから視界を少し引いてみると荘重なまでの構造が見えてきます。そこを剛健な歩みを進める児玉さんのピアノは、ほんとうにどんどんと息もつかせず前進する。感情と思索のある種の迷宮ともいうべきアダージョ・ソステヌートの楽章も、児玉さんはありのままに淡々と細やかな意匠を紡いでいく。
最後の壮絶なフーガ。
導入のための序部というのか、直前の長大なアダージョと橋渡しをする経過的間奏というのか、ちょっと持って回ったような序奏から、果てしない追走が走り出します。行き詰まってスランプに陥っていたベートーヴェンバッハなどの対位技法を徹底的に研究したということだそうですが、同じ論理性と言ってもバッハのような調和と解決を求めての論理というよりは、ベートーヴェンのそれは思考や感情が衝突し交錯するような葛藤の音楽。とても重い音楽です。
児玉さんは、そういう超絶的な作曲技法、演奏技巧のこの曲を、無感情といってもよいほどに冷厳に推し進めていきます。まさに壮大な音楽の弁証法。目と鼻の先での距離ですが、とてつもなく複雑な譜面ですが、まるで音のひとつひとつが見えるような明晰な音。長大な曲にもかかわらずあっという間に終結してしまいました。
会場には、横浜のvafanさんがご夫婦で来られていました。vafanさんは、このサロンコンサートは初めてだそうです。休憩時間にお話しをさせていただきましたが、こういう小さいサロンの響きをどう感じられてのでしょうか。奥さんはご自身もピアノを弾かれるとか。むしろこういうサロンでのピアノの音の感触によりリアルなものを感じられるのではないかと勝手に想像します。いずれにせよお二人のフレッシュなご感想を伺ってみたいところです。
アートスペース・オー 第209回コンサート
児玉 麻里 ピアノリサイタル
2017年7月2日(日) 18:00
東京・町田 アートスペース・オー
ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 Op.49-1
ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 Op.49-2
ピアノ・ソナタ 第 8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
(アンコール)
バガテル WoO.59 (「エリーゼのために」)
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