チューリッヒ歌劇場ダブルヘッダーのいよいよ後半です。
演目は、プロコフィエフのある意味でもっとも尖った作品ともいうべき「炎の天使」。
プロフィエフの青壮年期の急進性と、亡命先のアメリカやフランス・パリの自由主義とモダニズム、そして長い亡命生活の果てに行き着いた祖国ロシアへの呪術的なまでの帰郷心、そういったプロコフィエフの持つあらゆる資質が分裂症的に合体した作品で、その演奏難度、復帰した母国国ソ連の社会主義的リアリズムとはあまりに相反していたがために生前にはとうとう上演されることのなかったいわくつきの作品です。
私にとってプロコフィエフは、第一に「ピーターとオオカミ」の作曲者。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」とともにラジオでも学校の音楽室でもポピュラーな現代曲でした。あるいは、ラジオ番組のテーマ曲でもあった「三つのオレンジへの恋」からの「行進曲」などの抜粋。
そこから「古典交響曲」や日本のメロディの入ったピアノ協奏曲第5番とか。そして「キージェ中尉」などの映画音楽。そしてバレエ音楽「ロミオとジュリエット」「シンデレラ」へと順次レパートリーが広がっていきます。
親しみやすいこうした名曲から、やがて、その斬新なモダニズムや実験性、過激なまでの超絶技巧、シリアスでセンセーショナルな情感表現に惹かれるようになったのはごく最近のことになります。それは私自身の音楽的成長ということでもあり、また、そういうプロコフィエフの音楽の受容という時代の流れがたまたま私の世代の音楽レパートリー拡大と同調していたということなのだと思います。
本当のところを言えば、このオペラを観るのは日程的な理由からでしかなかったのですが、予習のために図書館から借りてきたゲルギエフ/キーロフ劇場によるCDを何度も繰り返し聴いているうちに、いかにもチューリッヒ歌劇場にふさわしいこの異色のオペラを観るのがとても楽しみになってきたのです。そして、実際にも、日本は当然のこと、本場欧州の他の歌劇場でもなかなか遭遇できない凄い公演でした。
私たちは、マチネーの「騎士オルランド」がはねた後は、いったんホテルに戻りゆっくりと休みました。チューリッヒ散策は、午前中にあらかた楽しみましたし、夜の上演に備えて無理をすることを避けました。
とはいえ、休憩なしの通し公演の前には、軽く腹ごしらえ。
さすがチューリッヒです。なかなか美味しくて、リラックスができるお店がたくさんあります。行き当たりばったりでしたがサービスも気持ちよくとてもよいレストランです。
私は、お魚をいただきました。
デザートも。
さて、腹ごしらえを終えて、再び歌劇場を訪れてみると、その雰囲気はすっかり変わっています。先鋭なチューリッヒ歌劇場に戻っているのは、緞帳のショーアップだけではなくフロアを深く下げたオーケストラピットの緊張感からも伝わってきます。
「炎の天使」とは、いささか神がかった主人公レナータが若いときに出会ったといまだに探し求めている男のこと。レナータは、その幻影に恋い焦がれ、天使が再び降臨して誰かに取り憑いて現れると信じ込み、その姿を狂ったように探し求めています。そのレナータに探索を依頼されたルプレヒトはやがてそのレナータに恋心を燃やし、翻弄され邪険にされてボロボロになっていきますが、あくまでもこの取り憑かれたような狂心の女性を賛美し守護し続けるのです。「恋」というものの不条理と不条理で異形の存在に対する激しい好悪のぶつかり合い。
プロコフィエフの音楽は、峻烈そのもの。
3管編成と各種打楽器を加えたの大オーケストラが、ピット内にびっしりと詰まっています。その音響のテンションの高さと強烈さは、ほとんど全幕にわたって続きます。舞台装置は中央に三層の立方体で組み上げられたフレームのステージが回転させられることで一瞬のうちに舞台転換されるというシンプルなもの。全5幕が、そうやってぐるぐると転換していき休憩なく2時間余りの壮絶なヒステリー状態ともいうべき異様なほどに張りつめた興奮と狂気の世界が繰り広げられます。そして最後の最後になって、レナータは僧院に心の安らぎ見出すのですが、それもほんの一時に過ぎず、大衆の怒りと憎悪の渦の中で文字通りメラメラと炎上し一瞬のうちに崩壊してしまうのです。フレームステージの立方体がそれと同時にバラバラに解体されてしまう。
その音楽は、プロコフィエフ自身によってその交響曲第3番として転用されています。よくあるテーマの転用とか、序曲的なものではなく、もともとは抜粋の組曲として企図され、やがてその内容を凝縮させるために純器楽、絶対音楽としての交響曲として完成させたもの。このオペラの悪魔的で神聖な恋の高揚を伝えています。私は、CD初期にこのネーメ・ヤルヴィ盤を買い求めましたが、その音楽にすっかり怖じ気づいてしまいずっと聴かないままレコード棚にしまいこんでいました。しかし、この峻烈極まりないオペラがどんなものかを手っ取り早くうかがい知るにはよいCD(CHANDOS)です。
そういう音楽と舞台を、私たちは二列目中央のかぶりつきで二時間にわたって全身に帯び続けていたというわけです。
それだけにヒロイン役のアウシュリネ・シュトゥンディーテのタフさには驚きました。リトアニア出身のソプラノは、この歌劇を見る限りドラマティコですが、劇中では時に可愛らしい、男の保護愛をそそるようなところも見せて、その情感の幅の広さをみせつけます。キャリアを見ると、ラ・ボエームのミミや蝶々夫人もこなしている。現代のオペラのプリマには、そういう女としての愛らしさ、危うい脆さとともに、劇的で強靱な意志、気高い自尊心の強さとを内面、発声ともに両立しなければならないのでしょう。そう言えば直近ではショスタコーヴィチのマクベス夫人も演じているそうです。
タフということでは、相手役ルプレヒトを演じたリー・メルローズも同じ。ロンドン出身でケンブリッジ/セントジョン・カレッジで学んだそうで、ヴォーン・ウィリアムズやサリヴァン、カーターなどの現代作曲家作品やベルリオーズの歌劇など異色のキャリアを積んでいて一筋縄ではいかないような演技派のテノール。「カルメン」のエスカミーリョも演じているようで、その性格演技はなかなか幅広いようです。終末の魔女裁判で火刑にかけられようとするレナータを呆然と見つめる悲痛な表情がとても印象的でした。
その他、宿屋の女将、魔術師の哲学者、医者、メフィストフェレス、ファウストなど、ある意味でこのオペラの荒唐無稽ともいうべき脇役を演じる歌手も、それぞれに一癖も二癖もあるという雰囲気たっぷりの歌唱と演技。それもこれも、16世紀のドイツという時代設定を、現代の無国籍なものに置き換え、その呪術的な悪魔祓いのストーリーを現代社会に潜む様々な狂気に置き換えた演出の力なのだと思いました。
けれども、やっぱり主役のふたりとともに最大の立役者は、指揮のノセダとオーケストラなのだと思いました。そのタフでエネルギッシュであることは、歌いっぱなしのふたりと同じです。こういう異色の公演であるにもかかわらず満席の客席からの喝采は熱狂的とさえ言えました。
まっすぐホテルに帰ると、ぐったりしてしまうほどの疲れでした。
いよいよ明日はミュンヘンへ移動となります。
(続く)
チューリッヒ歌劇場
プロコフィエフ:「炎の天使」
2017年5月25日(木) 20:00
スイス・チューリッヒ チューリッヒ歌劇場
(Parukett links Reihe 2, Platz 22)
Der feurige Engel
Conductor:Gianandrea Noseda
Producer:Calixto Bieito
Stage design:Rebecca Ringst
Costumes:Ingo Krugler
Light-Design:Franck Evin
Video-Design:Sarah Derendinger
Chorus master:Jurg Hammerli
Dramaturgy:Beate Breidenbach
Orchestra: Philharmonia Zurich
Choir: Chor der Oper Zurich
Renata:Ausrine Stundyte
Ruprecht:Leigh Melrose
Die Wirtin:Liliana Nikiteanu
Mephistopheles, Agrippa von Nettesheim:Dmitry Golovnin
Wahrsagerin, Abtissin:Agnieszka Rehlis
Inquisitor:Pavel Daniluk
Faust:Stanislav Vorobyov
Jakob Glock, Arzt:Iain Milne
Mathias Wissmann, Der Wirt:Andrzej Filonczyk
Knecht:Dimitri Pkhaladze
Zwei Nonnen:
Soyoung Lee
Deniz Uzun
Graf Heinrich / Der Vater:Ernst Alisch
Sechs Schwestern:Julie Bartholomew
Caroline Fuss:Verena Hasselmann
Rosa Maria Hernandez:
Laura Missuray
Hao Zhang
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