太魯閣での最後の日。
ホテル近くの廟を見学しました。橋を渡った中洲の岩山のてっぺんにあります。ここはどうやら日本統治時代には神社だったようです。台湾にはそういういわれの寺廟が多いようです。
長い階段を上ると、ふたつの支流が合流する天祥の地形とホテルが一望できます。
バスで駅に向かいます。何度も往き来して、その度に峻険な地形に息を呑んだ太魯閣渓谷ともついにお別れ。
台北に向かう特急列車の時間まで、少し時間があったので再び花蓮の街を見学しました。向かったのは「松園別館」。
ここは、日本統治時代に建てられた軍事指揮所。合わせて上級士官の接待宿泊所として利用されていました。
花蓮という街が、台湾東岸の開拓拠点として日本統治時代になってようやく開発された港町だということはすでにご紹介しました。日本統治時代の初期、花蓮はわずか30戸たらずの寒村でした。東岸の中心は台東にあって花蓮はその出先に過ぎなかったのです。何とか鉄道や道路がつながったものの待望の港湾はその困難な自然条件から築港計画がなかなか実現しませんでした。
花蓮港が完成したのは、戦争直前の1939年のこと。
その築港のために大勢の日本人や漢人が動員。花蓮港は日本人が多く住む町として発展しました。「松園別館」は、美崙山という海抜108mの小さな山の上に建てられています。かつては原住民アミ族の居住地でしたが、花蓮市を俯瞰し、港や太平洋を一望できる絶好の戦略的地点だったために、軍事要塞にしようとアミ族は移住させられ1942年に「花蓮港兵事部」が建設されます。
「松園別館」という名称は、戦後になってつけられました。アメリカ軍顧問団の保養施設として利用されていた経緯を経て、今では観光地として一般開放されています。
庭園と回廊式の2階建ての洋館が、ちょっとしたレトロでお洒落な空間を演出していて、その景観のよさとともに人気スポットになっていて、多くの市民の憩いの場所として人気を集めているようです。
慈恵堂・勝安宮にも立ち寄ってみました。大きくてなかなか立派なお堂で、やはり道教と仏教が回廊でつながって同居しています。参拝客でけっこうな賑わいでした。
駅に戻ると、昼食用の弁当を買い込みます。
なかなかボリューム満点です。花蓮の名物駅弁と思いきや、多少の個性やメニューの違いはありますが、台湾の弁当というのはどれも似たようなもの。まあ、外からみるとそういうものなのかもしれません。でも、なかなか美味しい。
台北では、そのまま新幹線(台湾高速鐵路=高鐵)に乗り換え、一気に西岸の町、嘉義(チャイ)を目指します。
(続く)
ログインしてコメントを確認・投稿する