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2017年05月12日18:34

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戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗(加藤陽子著)読了

前著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」の続編。同じように中高生の若い人への質疑応答を交えた講義録となっている。前著では聖光学園という進学校の若いエリートたちだったが、本著は書店が公募した中高生と若い教諭たち。いずれにせよ、今の若い世代の並々ならぬ知性と新鮮で柔軟性に富んだ知的好奇心に、先ず感動を覚える。

一貫しているのは、太平洋戦争は強いられた戦争である、挑発や陰謀によって仕向けられた戦争だった、自国防衛のためには戦うしかなかった、という《他律的》な考え方、感情論を真っ向から否定していること。戦争は日本の誤った選択の結果だという。

中国を支援していた英米ソなどの国々によって経済的にも政治的にも圧迫された日本が戦争以外の選択肢を閉ざされて囲い込まれた、日本はやむを得ず戦争に追い込まれた、あるいは米国世論を欧州戦争参戦に転換させるための挑発、陰謀だったといった俗説や感情論をきっぱりと否定している。真珠湾攻撃が恥ずべき奇襲となったのは、ワシントンの大使館館員の怠慢だったという「神話」も、実は軍部が外務省本省に圧力をかけて故意に宣戦布告電文送付を遅らせたからだと証言資料を挙げて断言している。

日本には、「戦争」を回避する機会を3度も与えられたが、その全てにおいて選択を誤ったと著者は説いている。それは、リットン報告書、三国軍事同盟、開戦直前までの日米交渉の3つだ。

「リットン報告書」について、多くの日本人にとっては日本の主張や立場を一切認めず、これに逆ギレした日本が国際連盟を脱退することになったと信じられているが、それはあくまでも当時のジャーナリズムが国民感情を扇動したためであって、「報告書」は妥協宥和的なまでに日本を配慮したもので、各国はこれにより日中和解を期待していたということを丁寧に説いている。満州事変(柳条湖事件)が関東軍の策謀であり満州国建国が虚構に満ちたものであったことを知りながらも妥協を呼びかけたリットンと、そのことを全く知らされなかった日本の国内世論との認識ギャップがあまりに大きかった。

三国軍事同盟は、ナチドイツを信奉する軍部や外交政治家が主導した軍事同盟で、日本を枢軸側と固く結びつけ戦争への道筋から後戻りできないものにしてしまったと一般には受け止められている。そのことも真っ向から否定している。実際のところは《軍事同盟》としては非常にちゃちな建て付けの条約で、実際に非常に急ごしらえのものだった。その目的は、あくまでも米国の欧州参戦をけん制することが日独の目的であって、日本の参戦を促すような拘束力は極めて弱かったし軍部も対米戦争回避を心から切望していたという。実際に、東西両面の戦争準備が整っていなかった米国のけん制としては十分に機能したし、軍部も欧州情勢を見極める時間を十分に得たのだ。

日米交渉は、最後通牒とも言うべき全否定のハル・ノートによって決裂し、それが日本側の開戦の最終決定への致命的なトリガーとなったというのが通説である。ハルという人物は、日本人にとっていかにも居丈高な強面の典型的なアメリカ人という印象があるが、実は、親日的で多くの人脈を通じて真摯に戦争回避のために交渉を進めていたという。それをぶち壊しにしたのが、日本の南部仏印進駐と野村大使のリークだった。

南部仏印進駐は、軍事的侵攻ではなくヴィシー政権との合意に基づいた平和的「進駐」だったとも言えるが、そういう建前や虚構を信じた日本の判断ミスだった。対独戦争の当事者である英国やオランダにとっては火事場泥棒のようなもので彼らの東南アジアの植民拠点を脅かす極めて好戦的な行為だと受け取られた。ローズベルト大統領にせよハルにせよ、これで国内の対日強硬派への抑えが困難となった。石油禁輸などの経済封鎖策も、療養や休暇でワシントンを離れていたローズヴェルトやハルにとっても虚をつかれたもの。彼らにとって日本を決定的な窮地に追い込むことは避けたいことだった。そこへもって野村大使が米国側の妥協姿勢をリークしたものだから、米日両岸の交渉強硬派の激情を煽る結果になったという。

それでも、ローズベルト大統領は天皇への親書を託し、交渉継続と日本側の軽挙妄動を戒める呼びかけをした。この親書も、軍部の妨害によって郵政当局に留め置かれてしまうことになる。親書を送っていたことは戦勝国となった米国側にとっても決して都合のよいことではなかったので長らく歴史の表には浮かび上がらなかった事実だと言う。ローズベルトに日米開戦を望む意図はなかったし、真珠湾攻撃「知って知らぬふり」陰謀説も著者は別の観点から否定している。

なぜ、日本は選択を誤ったのか。

それは、やはり、世論が間違っていたからだと著者は言う。英米などの挑発や誘導によるものでもないし、多くの国民は内心では戦争を望まなかったが、侵略主義的な軍部や右翼団体に引きずられたという軍部悪人説でもない。戦争は国民自身が犯した過ちだった。では、なぜ日本人はこのような無謀で無慚な戦争を始めてしまったのか。

著者は、当時の昭和天皇の関与、発言をひいている。昭和天皇は、節目節目のことごとくにおいて「これはどうか?」「どうにかならないか?」と正論を示唆している。それは昭和天皇が賢明かつ冷静だったからと言えなくもないが、あらゆる事実を把握していた昭和天皇と、事実からことごとく隔離され、虚構に踊らされ激情していた国民との対比ではないかと説く。『国民』とは無辜の民という意味ではない。『国民』には、エリートであり政策立案の中枢を担った軍部や省庁の中堅組織層も含まれる。情報統制が極度に強まってからはこうしたエリートたちでさえも全体を俯瞰することはできなかった。軍人を一方的に悪者にしたのはテロに脅えて拱手傍観した元老たちの言い訳をもとに戦後の昭和天皇擁護のために作り上げられた神話に過ぎない。

著者は、本書の始めに「戦争とは、敵対する国家の正統性原理や基本的秩序を攻撃目標とする」という趣旨のルソーの言葉を引いている。戦争に至る戦前の日本は、そういう原理や社会の基本的秩序を見失っていたのだと。だから、そういう原理原則で諸外国と堂々と斬り結ぶこともできなかったし、それを守護することもできないまま徹底的に蹂躙されてしまった。。

いま問われているのは、戦後になって打ち立てた日本という国の基本原理、社会的基本秩序はどういうものかということ。それは日本人がきちんと自発的に望んだものなのかということだと思う。基本秩序とは、すなわち、「憲法」であると言ってよい。著者は、本書の最後のところで日本の現憲法の《平和主義》は、確かに占領国による非武装の押しつけに端緒があるかもしれないが、実は戦後の多くの国民が切実に思ったことから発議されたものだと主張している。「国際協調」「不戦」の原理は、第一次大戦の反省から生まれたもので、戦前から少なからぬ政治家や多くの知識人が自覚していた歴史的原理だとも。

憲法を単に書き換えることの是非が問われているのではない。いま問われているのは憲法原理そのものだ。そのために近現代史を深く自覚的に掘り下げていく作業は、年齢世代を超えて極めて重要なことと考える。

そういうことのひとつのきっかけになる良書だと思う。


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戦争まで  歴史を決めた交渉と日本の失敗
加藤 陽子 (著)
朝日出版社

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