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2016年11月12日12:54

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田部京子のシューベルト

NHKのドラマ「夏目漱石の妻」を見て以来、たびたび取り出して聴いている。

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ドラマの挿入曲として、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番の第1楽章冒頭が使われた。それはドラマのために改めて録音したものだそうだけれど田部京子の演奏であることに変わりはない。

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ドラマでこのソナタが流れたのは、第1話では妻の鏡子が流産の心の痛みから癒える場面、第2話では漱石自身が神経症から回復する場面。第3話では、小説家として成功した漱石の面前に現れ金を無心する養父をようやくにして絶縁する場面だった。快癒や安堵を包み込むように遠くから聞こえてきて、深い淵から聞こえてくるあの遠鳴りのようなトリルから過去の痛みのようなものが疼き、それがやがて再び苦悩や絶望の淵へと呼び込まれるような不安へのおののきへと変わる。ひとときの小康にしがみつき、震え、心揺らぐふたりの静かなロングショットに流れるシューベルトがこのドラマに大きな深みを与えていた。



このアルバムは、93年の録音でデビューから3枚目という最初期のCD。

リリースされると「田部は偉大なシューベルト弾きとしての地位を確立するであろう(ニューヨーク・タイムズ)」と国内外で絶賛された。私のCDには、初出当時の音楽学者・平野昭氏によるライナーノーツがそのまま転載されているが、そこには「田部京子は今もっとも注目してゆかなければならないピアニストであると思う」と書かれている。慧眼とはそういうものだと思う。

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実際、田部にとってもこのアルバムは、自分のキャリアのなかでも特に思い入れのあるもののようで、2013年のCDデビュー20周年を記念する特別リサイタルでも、この曲1曲が後半の全てを占めていた。

このリサイタルでは、楽界の大スキャンダルとなった例の重度の聴視覚障害を騙った人物の偽作も初演された。東日本大震災で母を失った石巻の遺児に捧げられたという、その「レクイエム」に感動して、後半のこのシューベルトを聴かずに帰ったという人がいて、これもまたずいぶんともったいないことをすると驚いた。別人のゴーストライターの手になる曲は、スキャンダルとして地に堕ち、遺児とその家族に計り知れない心の傷を与えたものとして遺棄されるのはやむを得ないのだが、感銘深い曲だったことは確かだ。しかし、だからと言って…

いや、話しを戻そう…そう、田部のシューベルトのことだった。

シューベルト人生最後の大作に、まだ二十代だった田部が挑むということ自体が驚きだが、そこで得た高評価もまた驚くべきものかもしれない。けれどもこの曲を書いたシューベルトも31歳だった。田部も若く、シューベルトもまた若かったのだ。シューベルトの音楽の美質と深淵さは、決して老成を必要とはしないのではないか。知的な解釈によってあらかじめ計算された音楽像であるとか、豊かな経験や形而上学的思惟によって熟成される霊感というものではない。むしろ一音、一音、研ぎ澄ました技巧と感性によって紡ぎ出される音の連なり、あるいは、鮮度の高い和声や音色の遷移やコンテクストから創み出され歌い上げられるもの。それがシューベルトであり田部の音楽だと思う。

実際に、「夏目漱石の妻」では、それぞれに違った場面に当てられて、それぞれに違った効果と感興を創りだしている。ドラマ音楽というものは、本来はそういう風には作られない。クラシック音楽がドラマに使用されることは少なくないが、大概はある固定した表徴を持っていて、例えば、バッハの「トッカータとフーガ」とかベートーヴェンの「運命」の動機とか、それがあまりにも反復慣用されれば茶番にさえなる。シューベルトは、そういう刹那的な一芸ではない。とても多様性、遷移性に富んでいて、冗長であるとさえ言える。いや、むしろ、場合によっては気が遠くなるほどの繰り返しによるその冗長性こそがシューベルトなのだ。

だから、例えばシューベルトの「グレート」を、そのスコア通りに繰り返しを忠実に行った演奏を聴いて「長くて退屈だった」と貶める聴き手は、シューベルトの美しさ、哀切、寂寞、孤独…のよき理解者ではないと思う。そういう意味では、震災の悲劇のストーリーに気を昂ぶらせて、その次の田部のシューベルト聴こうとせず、リサイタル会場を後にしてしまったひとも同じなのだろうと思う。

このアルバムには、同じく死の年に書かれた「3つのピアノ曲(D.946)が収められている。自由で形式にとらわれないシューベルトらしい曲想は、2つの「即興曲集」や「楽興の時」などの叙情的なピアノ曲に連なる。一説によれば、曲集全体をひとつのソナタの三楽章とみなすこともできるとのことだけれど、そうではなくて、シューベルトはソナタを書こうとしたけれど、ソナタを構成することをやめてしまったのではないか。

田部のこのシューベルトは、ストーリーとか構成とか楽式とかを押しつけることがまったくない。その美質は、メンデルスゾーンの「無言歌集」でも同じで、シベリウスの小品集、グリークの「叙情曲集」でもさらに深められている。「3つのピアノ曲」では、第2曲の変ホ長調をよく聴いているが、実際、このアルバムはどこからどこを聴いてもよい。繰り返し聴いているといっても、ぽつり、ぽつりと拾い上げるようにして楽しんでいる。


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シューベルト:
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
3つのピアノ曲(即興曲 遺作)D.946

田部京子(ピアノ)
1993年10月20〜22日 秋川キララ・ホール

日本コロンビア COCO-73260

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