波多野睦美さんは大好きで、いくつかCDも持っていますしコンサートでも実際の歌声も聴いています。2009年の初台・新国立劇場(中劇場)でも「ポッペアの戴冠」でのオッターヴィア役など、やはりバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のメンバーのひとりということで聴いたことが多いのですが、ソロ・リサイタルということではまだ聴いたことがなかったのです。つのだたかし(リュート/ギター)とのデュオなど人気が高くてなかなかチケット入手が困難だったからです。
その意味で私にとってはこの日は待望のコンサートでした。
ひどく気温の高低の激しい今年の梅雨ですが、この日の東京はことさらに暑い日になりました。汗をふきふき上野駅から昭和通りを渡って東京メトロの踏切を渡り上野学園に向かいます。自由席だったせいもあるのでしょうが、ホール前にはすでに長蛇の列。こんなことはこのホールでは滅多にないことで、やはり波多野さんの人気がうかがえます。
「イタリア歌曲集」というのは、声楽を志す者にはなじみの教本のようなものだそうです。19世紀イタリアの音楽学者アレッサンドロ・パリゾッティが17、18世紀の歌曲やオペラのアリアなどを編纂した歌曲集のことで、日本では声楽家の畑中良輔が監修した楽譜が広く流布しています。ただし、これらは19世紀風のピアノ伴奏歌曲に編曲されていてメロディーや和声も改変されています。高校時代にこの「イタリア歌曲集」を学んだ波多野さんは、その後、イギリスに留学して古楽を学びますが、この曲集をいつか原典に忠実な形で再現したいとずっとそういう企画を心に抱いていたとか。それが昨年ようやくCDアルバムの形で実現します。今回は、そのアルバムにほぼ忠実に沿ってステージ上で実演するもの。
波多野さんは、クラシック主流のイタリアグランドオペラ風のベルカントとは違った、バロックや教会音楽様式の唱法で、その自然な呼吸と伸びやかな発声と音程感覚は現代日本の作曲家からも大きな信頼を得ています。声量たっぷりの劇的な歌い方ではなくて、地声に近い伸びのある美しい母音がとても心地よく、そこに喜怒哀楽の豊かな情感を感じさせるところが、私たち日本語を母語とする者の琴線に触れるということなのではないでしょうか。
前半途中までは、西山まりえさんのチェンバロ(イタリアンタイプ)とバロック・ハープ、懸田貴嗣さんのバロックチェロとヴァイオリンの渡邉さとみさんの伴奏とともに歌曲を、「アリアンナの嘆き」からはVn2台、Va、Vcの弦4部とチェンバロ(ハープ)のミニ・オーケストラとともにオペラのアリアが歌われました。
チェンバロとバロックハープの両刀遣いの西山さんは、10年近く前に水戸で初めて聴いてその才人ぶりに驚きましたが、相変わらず若くて可愛らしい。こうして伴奏者としてバロックハープの音色を聴くと、ホール音響の素晴らしさとも相まって、その素朴でありながら情感の豊かな音色に心が揺り動かされる気持ちがします。
素晴らしかったのは渡邉さんを中心とする弦楽器アンサンブルで、音程が安定した美しい倍音豊かなハーモニーにほんとうにうっとりします。休憩後の後半の「優しき森よ」では舞台裏から波多野さんの声が遠く響き、やがて歌いながら、あるいは演奏しながらの登場となかなかの演出です。カンタータ形式の「いとしき絆よ」からは2台のVnはアンサンブルの左右両端に分かれる配置に変わります。
途中の器楽のみの「パッサカリオ」を演奏する前に、ステージ上で念入りにチューニング合わせ。こんな長くて念入りなチューニングは初めてでしたが、おかげさまで石橋メモリアルホールの素晴らしいホールトーンを改めて確認できました。まるで身が包まれるような響きで、それでいてとてもクリーン。改築前の旧ホール(1974)は、開設まもなかった永田音響設計の初仕事で、そのヨーロッパの石造りの教会のような天井からの初期反射豊かな残響を伴ったホールトーンはとても印象的でした。当時は長い残響のホールはとても珍しくて、演奏者からクレームもあったとのこと。現在の新ホールは、さらに残響時間は長くなっています(1.5秒→1.8秒)が、すでにもう珍しいものではなくクリアな響きは室内楽から室内オーケストラまで広く適応しますが、やはり、こうして聴いてみると古楽系の音楽にはとてもよくマッチします。
久しぶりに列に並んでサインをいただきました。身近に接した波多野さんの謙虚で親しみやすいお人柄が印象的でした。
波多野睦美 朝のコンサート 第10回記念特別公演
イタリア歌曲集
2016年7月3日(日) 14:30
東京・上野 上野学園 石橋メモリアルホール
波多野睦美(メゾソプラノ)
渡邊さとみ、宮崎蓉子(バロックヴァイオリン)
朝吹園子(バロックヴィオラ)
懸田貴嗣(バロックチェロ)
西山まりえ(バロックハープ、チェンバロ)
ジューリオ・カッチーニ
愛の神よ、あなたは翼を持ち
アマリッリ
愛の神よ、何を待っているのです
アルカンジェロ・ローリ
教えておくれ、愛の神よ
ジローラモ・フレスコバルディ
そよ風は吹き寄せれば
カルロ・カプローリ
お前は私を苦しめずにいた
ジャコモ・カリッシミ
勝利だ わが心よ!
クラウディオ・モンテヴェルディ
アリアンナの嘆き (オペラ『アリアンナ』より)
ビアージョ・マリーニ
3声または4声のパッサカリオ《様々な楽器のための教会ソナタと室内ソナタ》作品22
クラウディオ・モンテヴェルディ
なにかを感じるんだ (オペラ『ポッペアの戴冠』より)
* * * * *
伝 アントニオ・カルダーラ
優しき森よ (オペラ『裏切りに打ち勝つ愛の貞節』より)
つれない人よ、たとえあなたが (オペラ『裏切り打ち勝つ愛の貞節』より
フランチェスコ・ガスパリーニ
いとしき絆よ
君への愛を捨て去ることなど
アレサンドロ・スカルラッティ
すみれ (オペラ『ピッロとデメートリオ』より)
ガンジス川に昇る太陽は (オペラ『愛の誠』より)
私は心に感じる
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
泣かせてください (オペラ『リナルド』より)
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