同じ日に紀尾井シンフォニエッタ東京の公演があることをうっかりしていて、どちらも棄てがたく、結局、紀尾井から青葉台まで走りに走りました。紀尾井ホールからホテル・ニューオータニを駆け抜けて、半蔵門駅から半蔵門線、田園都市線、途中、二子玉川で大井町線から乗り入れの急行と乗り継いで、ほぼ1時間というぎりぎりのダイヤでした。
女流音楽家をフューチャーするフィリアホールの「土曜ソワレシリーズ」ですが、この日は、ヴァイオリニストの神尾真由子さんとピアニストの河村尚子さんというビッグな顔合わせ。
河村さんは、ほんの二日前には水戸での公演も聴いていますが、2007年のチャイコフスキーコンクールの覇者・神尾さんはまだ聴いたことがありませんでした。河村さんの大ファンである私にとって、この組み合わせは願ったり叶ったりの一大イベントであったわけなのです。
この日のプログラムは、いずれも、ピアノとヴァイオリンのためのソナタの名曲。しかも単に名曲というばかりではなく、ヴァイオリンとピアノが対等にわたり合い、対の相手として互いに意識しながら緊密な音楽の綾を織りなしていく。そういう畢竟の傑作ぞろいです。このプログラムを見ただけでぞくぞくしてしまいます。
最初は、モーツァルトの『ヴァイオリンの伴奏をもつクラヴサンかピアノのためのソナタ』と題された6つのソナタのなかでも、最も人気の高いK.304。
ふたりが同時に開始する冒頭、ピアノの両手とヴァイオリンが3オクターブのユニゾンで奏する仄暗いテーマが、とても鮮烈な印象を与えます。そのユニゾンでは、神尾も河村もどちらがどちらに合わせるわけでもない。そこから、ふたつの楽器が交互にテーマと助奏を繰り返していく。そのことが「別離」としてとても強く意識されます。流れがまた第二主題の突然のユニゾンにもどって、そして、また別れていく。
神尾のグァルネリ・デル・ジュス(1735年製)が次第に光と輝きを増していく。河村のピアノも冴え冴えとした粒立ちときらきらとした輝き。互いが互いに追慕と別離とを意識して、その哀しみと孤独を表出する彩色の重なりやグラデーションが素晴らしい。
第二楽章も、美しく哀しみに満ちたメヌエット。静かなたたずまいの追憶の音楽。ピアノによるテーマにヴァイオリンが応え、またピアノが歌う。そういうことのくり返される三部形式のシンメトリックな構成。神尾のグァルネリはほんとうに強くて凜とした光輝を放ちます。ストラディヴァリウスも美しい音色の名器ですが、グァルネリの音の強さ、輝き、音色のパレットの多彩さは、やはり独自のもの。ヴァイオリンの持つ霊気や妖気のようなもので優るのはやはりグァルネリのほうなのではないでしょうか。河村も先日のショパンとは打って変わったような透明で清澄な音色。ふたりの醸すエーテルのようなものに酔っていたらあっという間に終わってしまいました。
ふたりが互いの多彩な音のパレットを存分にぶつけ合ったのが二曲目のラヴェル。
ピアノが得意だったラヴェル自身、ヴァイオリンという楽器はピアノとは「本質的に相容れないもの」と思っていたという。ふたりはそういう対立を遠慮容赦なくぶつけ合い、その音色やフレーズの衝突を楽しんでいるかのよう。特に中間楽章のブルースでのヴァイオリンのポルタメントたっぷりのフレーズにやり返す河村のスラーには舌を巻く思いでしたし、ピアノ独自のグルーヴィなノリのある挑発に神尾も次第に腰を振りながら応えていく、そういうインタープレイは圧巻。終楽章の神尾の超絶技巧に対して河村もラヴェルらしい饒舌さで対抗し、決してヴァイオリンの独壇場にさせていませんでした。
そういうふたりが、プログラム後半にすえたのが、ヴァイオリンとピアノの二重奏曲ともいうべきフランクの大曲。前半で披瀝されたふたりの音のパレットの多彩さ、レンジの広さが存分に発揮されます。しかも、フランク畢竟の循環形式による四楽章の大きな造形の土台がいささかも揺らぐことなく壮大なスケールで展開する。まさに快演。
ともすればこの曲では、互いに遠慮して主導権を譲り合い、あるいは区間ごとに優先権をリレーしていくような単線運転になってしまいがち。ふたりは完全に複線運転。それどころかそれぞれの多彩なテンペラメントや輻輳する多重奏の技巧を駆使してさながら壮大な交響曲のようなスケールを感じさせます。
初めて聴く神尾でしたが、ほんとうに素晴らしいヴァイオリニストだと思いました。冒頭の第1主題の提示では、「え?」と思うほどの小音量と渋い音色。それがやがてピアノとのやり取りのなかで高揚し、楽章が進むにつれ大きな起伏を描くその壮大なレンジと音色コントロールには驚かされます。グァルネリの魅力とはこれほど凄いのかと思わずため息が出るほど。作曲者が“sul D”“sul A”などと線指定したフレーズでもその弦独自の音色の対比が鮮明でフレーズからフレーズへの受け渡しが見事。この曲の交響曲的魅力を初めて知った思いさえしました。
アンコールは、既定路線のようなアンコールピースがふたつですが、これも堂々たる濃厚な演奏でした。
長い一日でしたが、たっぷりとした満足感に包まれほんとうに充実した一日となりました。
土曜ソワレシリーズ 第255回
神尾真由子&河村尚子 デュオ・リサイタル
2016年2月13日(土) 17:00
横浜市・青葉台 フィリアホール
神尾真由子(Vn)
河村尚子(Pf)
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
(アンコール)
フォーレ:「夢のあとに」
マスネ:「タイスの瞑想曲」
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