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2015年03月31日23:39

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牧野葵美 ヴィオラ・リサイタル

ヴィオラというのは、とても地味な楽器でソロをとることは少ないし、ましてやたったひとりでヴィオラ一挺で勝負するリサイタルというのも滅多にないと思う。私自身も、アンサンブルのプログラムや、今井信子さんが毎年主催している「ヴィオラスペース」のような特別なコンサートはともかく、ヴィオラのソロ・リサイタルは初めてのような気がする。

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牧野葵美さんは、新進若手のヴィオラ奏者。2013年にジュネーヴ高等音楽院大学院ソリスト課程を修了し、さらに王立ノーザン音楽大学で研鑽を積むかたわら各地で出演し、そのキャリアを着々と重ねている。

ヴィオラの音色は地味だけれど、その個性は意外なほどに際立ち、幅が広いということを「ヴィオラスペース」でいつも驚嘆させられる。牧野の音色は、とても滑らかで飴色の甘みを含んでいる。技巧もとてもスムーズでヴィオラにありがちな雑味が少ない。

まず最初のブリッジの2曲で、そのことが明らかにされる。思索にふける音楽と燃えるような情熱との音楽の対比が見事だが、どちらかといえば沈着冷静で明るい陽性の音味。

細川の《哀歌》は、昨年、イザベル・ファウストが弾いたクセナキスの「ミッカ」を思い出させた。単音から始まって様々な音高の線が平行と交差をくり返し移動しながら様々な感興が衝突したり、共鳴したりする。終結があまりにあっさりと途切れるよに切れて、ちょっとあっけない。

ブリテンの無伴奏は、もともとはチェリストのロストロポーヴィチに捧げられた曲で、このヴィオラ版は出版社の依頼を受けた今井信子が手がけたものでブリテン生誕100年の2013年に出版された。もともとヴィオラのために作曲されたかのような高度な技巧とブリテンらしい静謐な深刻さを感じさせるが、そういう技巧のテンションの高さを感じさせない滑らかさが牧野の真骨頂のようだ。

シューベルトの「アルペジョーネソナタ」は、一般にチェロのレパートリーとして親しまれている。チェロにとっては高い音程が、独特の哀切感と孤独、はかなさをかもし出すが、ここではあまりにヴィオラにマッチし過ぎるのか、あるいは牧野の技術が見事なせいなのか、かえって安定し過ぎていて、シューベルト作品が持つ、生と死、多幸感と疎外感といったものが背中合わせになったような崩壊寸前の危うさが感じられない。

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ピアニストの有吉は手堅い技術で音も柔軟だが、ここでは随分と牧野のヴィオラに譲ってしまった。だからステージ上で何ごとも起きない。目立たない日陰もののような生命が、自分の存在を切々と歌い上げるというようなはかなさは、ヴィオラを主役にしようとピアノが遠慮すればするほど出てこない。

最後のジンバリストの「サラサーテアーナ」もそう。牧野の技巧は素晴らしいのだが、ひとくせもふたくせもあるようなしたたかさがもっとあってよいのではないか。あるいは、地味と思われがちなヴィオラが曲芸的に歌舞いてみせて、やんやの喝采を引き出すというサプライズであってもよい。ゲーリー・カーに限らず、コントラバス奏者は時にそういうことをやってみせて日頃の鬱憤を晴らしてみせるのだが…。

アンコールのブラームスの「ソナタ」が一番ヴィオラらしかった。もっとこういうヴィオラそのものの名曲で、その深みのある音楽を聴かせてほしかった。






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紀尾井 明日への扉 第8回
牧野葵美[ヴィオラ]
有吉亮治[ピアノ]

2015年3月23日(月) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール

ブリッジ:ペンシェロ H.53
     アレグロ・アパッショナート H.82
細川俊夫:ヴィオラのための
     《哀歌−東日本大震災の犠牲者に捧げる−》
ブリテン(今井信子編):無伴奏チェロ組曲第2番 作品80

シューベルト:アルペジョーネソナタイ短調 D821
ジンバリスト:サラサーテアーナ

(アンコール)
ブラームス:ヴィオラソナタ第1番ヘ短調 作品120−1より第2楽章
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