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2014年12月05日01:10

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「リスク・オン経済の衝撃」(松元崇著)読了

「リスク・オン経済」とは著者の造語。ベルリンの壁崩壊後に出現したグローバル経済では、資金は投資環境が好転した(オン)となると発展途上国のリスク資産に流れ込み、悪化した(オフ)と見れば一斉に資金を引き揚げて先進国の国債などの安全資産に逃避する。その資金の動きはダイナミックでボーダーレス。為替レートはそのたびに大きく変動し、その変動が各国のファンダメンタルに大きく影響する。

そういう「リスク・オン経済」に日本は立ちすくみ、ひとり萎縮して何もできなかった。15年も続いたデフレは、もっぱらコスト削減に励む企業ばかりを生み、大企業労組はデフレのぬるま湯につかり非正規雇用の拡大から目をそらすばかり。エコノミストたちは、金科玉条のごとく従来の経済理論を唱えるばかりでバブルの再来やハイパーインフレの災厄を言いつのり、大胆なデフレ対策を打ち出せなかった。日本のひとり負けだったのだ。

そういう日本を復活再生させる方程式がアベノミクスだというわけだ。著者は、安倍政権が新しく打ち出した経済政策を支持するうえで、いくつかの従来の経済理論の誤謬と発想の転換を説いている。そこが本書の核心となっている。単なるアベノミクスの提灯を掲げているわけではない。

ひとつは、戦後のハイパーインフレーションが日銀による国債の引き受けによって再現するとの誤解。第一次大戦後のドイツや、戦後の日本を襲ったインフレ経済は、政治的な混乱による大ゼネストや爆撃による生産設備の壊滅による大幅な供給不足が引き起こしたもので、中央銀行の国債引き受けなど通貨の大量供給側が理由だったわけではない。しかし戦後のインフレはトラウマとなって、日銀による大胆な非伝統的金融政策の発動を阻み続けたのである。

そういう日銀の役割は、伝統的な「最後の貸し手」という考え方から、「最後の買い手」へと新しい転換が求められている。中央銀行は通貨供給や金利の操作により資金の円滑な供給と需給をコントロールするだけでなく、金融資産の最後の行き場として買い入れ、リスク・オンマネーの暴走によって市場の秩序が悪化・破壊されることのないようにその増減をコントロールするという新たな役割のほうが重要になっている。

もうひとつは円安にともなう「交易条件の悪化」という誤解。デフレ・円高時代に蔓延したのは、物価低下や円高というデフレは決して悪くないという生ぬるい感覚だった。しかし、「交易条件の悪化・改善」にも良いものと悪いものがある。ファンダメンタルという実力から乖離した為替レートがもたらす「交易条件の改善」は悪いものである。逆に韓国のように実力不相応の通貨安は、輸出産業ばかりを利することになり経済全体には大きな歪みを与えた。「リスク・オン経済」では、ファンダメンタルが為替レートを決めるのではなく、各国間の金利差や急激で膨大な資金移動が変動をもたらし、これが逆に一国のファンダメンタルに大きな影響を与える。手順が逆になったのだ。

日本という国は、米国と並んで思い切った金融政策を行う金融先進国だ。そのことは戦前の歴史が示している。日本は江戸時代以来、金融の最先端にあったというDNAを持っているからだ。米国の中央銀行の設立がようやく20世紀になってからだということや、いつでも政府が中央銀行を廃止して通貨発行を肩代わりできるようになっていて一定の緊張関係にあるとの指摘も新鮮。

著者が「官庁エコノミストの育成」と説くのは、恐らく、伝統的なマクロ経済学(国民経済理論や財政政策論)よりも、むしろミクロ経済学に近い視点を持つ金融論や企業・消費者行動といった実態経済に強い経済官僚を育成するべきだとの考えだと受け取った。

アベノミクスをいかに評価するか。政治の駆け引きに翻弄され、それを煽るマスコミやそれにおもねるエセ・エコノミストによって流布される「俗説」を駆逐するうえで本書は貴重な良書。

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