あの日の朝、テレビニュースの第一報は、
阪神淡路の震災発生を伝える悲痛なアナウンサーの声だった。
呆然としていたら、やがて、テレビ画面に、
巨大な大蛇が横たわっているような倒壊した高速道路が映し出された。
何が起きたのか始めは理解できなかったが、
この地震が大都市を破壊したとてつもないエネルギーであることに、
打ちのめされたことを、いまでもはっきりと記憶している。
私の父母は、大阪出身で親戚も多かったのだが、
3日間ほど、普通電話の回線が満杯になって電話が通じなかった。
4日目のこと、緑の公衆電話だけが通じると言う情報に、
近くにあった緑の電話の所に10円玉をどっさり持って行き、
母の弟である叔父の実家に電話した。
それまでのことが嘘のように叔父はすぐに電話に出て、私が名乗ると
元気いっぱいの関西弁で「東京は大丈夫か?」と問い返されて
しばらく返事ができなかった。
幸い叔父一家をはじめ親戚は全員無事だったが、
東京と大阪の距離をこれほどまでに遠く感じたことはなかった。
あれから30年、51歳だった私も81歳になった。
10年一昔というが、あらためて時間の経つのははやい。
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