mixiユーザー(id:26897873)

2021年07月02日17:54

108 view

「朝鮮紀行」(イザベラ・バード著)読了

日清戦争の前後、1894年から1897年にかけて4度にわたって朝鮮を旅行した英国婦人の大旅行家イザベラ・バードがつぶさに見聞した朝鮮旅行記。

すでに60歳を超えていた老婦人の老獪なまでの忍耐力、確かな観察眼による詳細な描写、正直というより無遠慮なまでの異文化評には圧倒される。すべてが自らが踏破した過酷な旅行を通じたものだけに実態が余すところなく活写されている。

その筆致は、「朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなし」と遠慮容赦ない。

終章に「朝鮮に対して最初に抱いた嫌悪の気持ちは、ほとんど愛情に近い関心へと変わった」とあるのは、旅行記ならではのワンパターンで、どこまでが本音でどこからが外交辞令かはわからないし、逆に、不潔不浄、悪臭、蚤や南京虫、悪天候、あるいは、粗野で礼儀知らず、迷信と無知、無節操な朝鮮人という悪し様な描写は、文明人の自負と高慢、困難を極める土地を踏破したという自慢によって強調されている疑いも無しとはしない。けれどもその描写の具体的で詳細なことには恐れ入るしかない。

暗澹とするのは、「官僚は大衆の生き血をすする吸血鬼」とまで言う官僚腐敗と搾取の実態だ。地方官僚や貴族の両班はソウルに住み、時たま従者を従え現地に赴くが無賃無銭の狼藉のし放題で逆らえばそれを口実に収奪の限りを尽くす。税収は彼らが横領し、国庫が頼るのは貿易港での関税ばかりだという。そのせいで地方では貨幣は通用せず、物々交換の経済は停滞し簒奪に苦しめられる農民は無気力で耕作地は荒廃を極めていたという。

こうした記述が驚くほどの真実味を持つのは、単に、それらが具体的で詳細だからというだけではない。現代の我々がいま見聞きする朝鮮半島の現実をよく見通しているからだ。

政治は際限なく対立と転覆の連続で、同族腐敗と打倒報復のくり返し。保守であれ革新であれ、その実は何の理想も節操もない権力闘争。それは、「何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている」という体質があるからだという。「パラサイト、半地下の家族」というのはこの国の重大な宿痾であり、事大主義の尊大固陋と、秀吉の朝鮮征伐以来の反日感情を喝破する。

また、李朝初期の廃仏毀釈により、朝鮮に近代的宗教が不在不毛であったことについても活写する。仏教はほぼ壊滅させられ、儒教は統治と社会規制のためだけに形骸化し、あえて農村地帯の巫俗(シャーマニズム)を放置してきた。その迷妄と後進性は農村地帯ばかりか両班、王族までにも浸潤する。王族、官僚までもが怪しげな呪術師や占い師を信じ込み迷走する。もちろんキリスト教徒からの視線がとらえた見方だが、キリスト教には無縁の現代日本人であっても、こういう近代的宗教が欠如する社会はなかなか想像が及ばない。

著者は、「朝鮮は流言蜚語の国」と言う。ゴシップ好きで、プライバシーは不在で、常にネタ集めに余念がなく、あるいはネタづくり邁進する。耳に入れたことをうそと誇張で潤色する。平気でウソをつくというわけだ。こうした資質の観察は、まるで100年後の今日の韓国の政治や世相を見事に言い当てているとさえ思える。

日清戦争や、乙未事変(日本公使館警備隊の王宮乱入と王妃斬殺事件)についての見聞は、その世情の混乱に著者自身が翻弄されていて、その記述はほとんどが伝聞であって史料的価値は落ちるが、当時の支配層や列強各国の出先がどのように受けとめていたかの証言となっている。

それは、ひと言で言ってしまえば「朝鮮には内部からみずからを改革する能力はない」ということに尽きる。

この国の発展のためには、外部からの介入や保護管理が当然だとする見方だ。その外部とは、中国、ロシアと日本のこと。それが帝国主義思考だと批判するのはたやすい。しかし、著者は、シベリアに移植した朝鮮人農民の勤勉と裕福な生活にも接していて、《外部》には満州、ロシア移住の朝鮮人も含まれている。

朝鮮半島をめぐる、中国、ロシア、日本の三極。内部からの刷新は常に本質性を欠いて、実質はその三極と海外在住朝鮮人が介在して影響を行使するという政治構造。流言蜚語、パラサイトの社会、根強いシャーマニズムの精神構造と責任転嫁の反日種族主義。

英国婦人旅行家の先見の明は、第二次大戦後の南北分断から今の韓国、北朝鮮の現状までも見通していたかのような気までしてくる。




フォト


朝鮮紀行
英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード著 時岡敬子訳
講談社学術文庫
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する