芥川龍之介の評伝的なエピソードを時系列的に追いながら、極度の気鬱による幻惑、凶夢、あるいは、乃木希典夫妻の殉死、師の夏目漱石、精神科医斎藤茂吉との長崎での出会い、上海紀行、関東大震災などの時代事象とその心理告白的情景、さらには芥川作品そのものの切り取りや変形、聖書、祈祷文の片々をコラージュさせながらたどる連作短編集的幻想小説。
原作者は、東京在住のイギリス人。暗黒小説に傾倒し、1974年に日本に移住、東京・新小岩の小さなアパートでデビュー作を書き上げたという。犯罪小説を得意とする。日本の古典・近代文学にも精通し東京大学でも教鞭をとる。
翻訳者は、慶応大学文学部卒業後、東京大学法学部に学士入学、法曹の世界を目指すが司法試験に挫折。予備校講師やミステリー小説の訳などで糊口を凌いだという異色の英米文学翻訳家。
読み進むほどに、訳者の語学的技量と文学的知識の深淵に驚きを覚える。これはもう、原作者デイヴィッド・ピースと翻訳家黒原敏行の共作による「翻訳小説」とも言うべき新たなジャンルの創出ではないかと思えるほど。
かつて会社の元同僚と、翻訳に求められる語学力としては、英語など原文言語への理解知識が大事なのか、それとも、翻訳言語の日本語という国語力のほうが大事なのか、ということで議論になったことがある。東京外大卒で英語に堪能だった同僚の方は、英語の原意を正しく理解、洞察する力こそ勝るとの意見だったが、私は、原意を読み解いても日本語の文章力そのものがなければ画竜点睛を欠くと反論した。原作言語ではなく翻訳言語を母国語とする翻訳家の方が優るというのが私の主張だった。
「訳者あとがき」では、訳者自身が「戻し訳」ということについて語っている。
原作者は、芥川作品の英訳を改変しているという。日本語に訳す場合、アーサー・ウェイリーが英訳した『源氏物語』の日本語訳のように、英訳者がどう解釈したかがわかるように現代語で訳すことを「戻し訳」と言うそうだ。しかし、本作では、仮に原作者が日本語で書いたなら、当然芥川の文章をそのまま引用したはずだ、との前提に立って、芥川の原文への「戻し」を採用しているという。
この小説(日本語訳)の面白さは、芥川自身が、「宇治拾遺物語」などの日本の古典からの翻案という手法を取っていたことと二重、三重に重なっていることだ。芥川が傾倒し、かつ、その信仰に懊悩したカトリック教会の祈祷、宣教に使用された聖書語法・語彙、近代小説の語法などが、そのまま擬古的に切り取られ、コラージュされる。しかも、原作者のノワール小説の語法と語感、言語リズムがそのまま日本語の感性に置換されている。翻訳家の力量と日本の近代小説への深い洞察とともに、その仕事の精緻さに驚嘆させられる。
翻訳というものの詩的再創造の面白さこそ、この翻訳小説の面白さなのだと思う。いかにも現代的な翻案、翻訳、コラージュ手法による芥川へのオマージュであり、日本近代文学の幻想的フラッシュバックなのだ。
Xという患者
龍之介幻想
デイヴィッド・ピース
黒原敏行訳
文藝春秋
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