霧笛
霧笛がすすり泣く
霧笛の宿
霧笛橋
《霧笛》といえば、《夜霧》、《汽笛》とともに昭和歌謡のキーワード。
《霧笛》は、《夜霧》に響く《汽笛》のことだと勘違いしている方も多いのでは。昭和は遠くなり、平成の御代ももうすぐ終わりを告げます。ただでさえややこしいのに、それがどういうものかどうかもだんだんと記憶が遠く淡いものになってしまいました。
霧笛とは、正式には「霧信号所」。灯台に併設されていて夜明けの霧が深くて灯台の光が届きにくい時に鳴らされたもの。
11月1日は灯台記念日。
それは、わが国初の洋式灯台である「観音埼(かんのんさき)灯台」(神奈川県横須賀市)の起工日である1868年11月1日にちなんだもの。つまり灯台は明治元年に始まったわけで、今年はその150周年の記念すべき年に当たるわけです。
この週末に大学時代の仲間で房総へサイクリングに出かけました。館山近くの野島埼灯台に立ち寄ったところ、たまたまその記念行事で施設全般が公開されていました。中でも併設されていた霧笛が、『最初で最後の一般公開』だとのこと。つまり、この霧笛は今まで一度も公開されたことがなく、そしてこの霧笛はこの日を最後に解体撤去されるとのこと。文字通り最初で最後なのだそうです。
野島埼灯台は、幕末の《江戸条約》で開設を約束した8つの灯台のひとつで1870年に観音崎に続いて点灯した日本で二番目の灯台。1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊、現在のものは1925年(大正14年)に再建されました。
霧笛もその時に建設されました。犬吠埼灯台の霧笛と同型で、圧縮空気で鳴らすエアサイレン(圧搾空気方式)で、電動機とベルトでつながれたコンプレッサーで空気を圧搾し巨大な鋼製の圧力容器に空気がため込まれ、自動式の開閉弁でサイレンに空気が送り込まれて鳴らす。
電動機にはさびかけた日立のロゴが刻まれた銘板がついていました。反対側には予備としてエンジン駆動のコンプレッサー系列があってこちらはヤンマー製。その吹鳴パターンはそれぞれの信号所でユニークで識別されるようになっていたそうです。
その汽笛は遠くまで聞こえるのですから、近辺ではかなりの音でした。説明してくれた海上保安庁の方の話しでは、宿舎の自分の幼子たちはこれでかならず目を覚まし泣き出したそうです。それを夜明け前の朝4時前に第一声を鳴らすので、近隣の迷惑を考えると身の縮む思いがしたそうです。灯台のすぐそばは白浜海岸で人家や宿がいっぱいあるわけですから、まさに、これが『霧笛の宿』のもとになったのでしょう。
近年、舶用レーダーの普及に加えてGPSなど航海計器の発達とその普及により、濃霧などの視界不良時であっても航路の安全が確保できるようになったことから、平成になって霧信号所は順次廃止されていきます。この野島埼灯台の霧笛も廃止され、同管区で同型の犬吠埼灯台の霧笛舎が2012年(平成24年)に登録有形文化財に登録され保存されることになったので、こちらは完全に解体撤去されることになったそうです。
何しろ大正14年の舎屋がそのままで、コンクリートなかの鉄筋もも腐食しところどころ穴が空いたりむき出しになっています。維持に血税は投入できずそのままでは危険なので、この日を最後に取り壊されるということになったそうです。
ああ、昭和はますます遠くなりにけり、です。
午前中は晴天だった空も、この頃からかなり怪しくなり始めて、雨がポツリポツリ。やがて、すすり泣きどころか号泣ともいうべき強い雨脚に、我々も一目散に館山駅へと急ぎ早々に引き上げることになりました。
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