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2018年02月12日22:02

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ミュトスとロゴス 気質 ライナー・ホーネック/紀尾井ホール室内管

プログラムは渋いけど、中味はとても濃い。

最初と終わりがシューベルトで、それにはさまれるように、シュトラウス父とヒンデミットによる「四つの気質」を聴き較べるというマニアックなプログラム。この2曲はともに、必ずしもポピュラーなものではなくて、私も初めて聴きました。

第一曲のシューベルトも珍しいレパートリーで、実演は初めて聴きました。

シューベルト家は、音楽家一家で、家族で弦楽四重奏を組んでいました。兄のフェルディナンドとイグナーツがヴァイオリン、父フランツ・テオドールがチェロ、フランツ自身がヴィオラを受け持っていて、さながら家庭オーケストラというわけだったのです。次男フェルディナンドがヴァイオリンの名手ということもあってソナタやソナチネ、幻想曲など名品も多く、この小協奏曲もその連なりのひとつ。

ホーネックさんは、先ずは自らヴァイオリンを手に取っての前口上というところでしょうか。曲は、わずか8分余りの小曲ですがほぼこの日のフル編成で威風堂々たる演奏でした。楽天的で社交的、そこにヴァイオリンのちょっと哀感を帯びた音色が漂うというところ。いかにもウィーンの街の風が香り立つような曲です。

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珍しいレパートリーですが、この曲には飛び切りの佳演ともいうべきCDがあります。ギドン・クレーメルの“SHUBERT-SOIREE”というとてもチャーミングなアルバム。

この日は、久々の紀尾井ホールのソワレ。

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いつもは土曜日のマチネーなのですが、当日の都合があり公演第一日目金曜日の夜に振り替えたからです。席もいつもの2階中央よりも右寄りの席になります。席からの眺めがちょっと変わりますし、たったこれだけの移動でも響きや音のバランスが微妙に違います。対角にあるヴァイオリンパートが明瞭で、一方、側面の壁に近いせいなのかバスもよく際立って聞こえます。

二曲目が、J.シュトラウス父の「四つの気質」。

「四つの気質」とは、古代ギリシャ哲学の四大元素説(火・気・水・土)になぞらえてヒポクラテスが唱えた人間の「四体液説」から導かれた気質分類のこと。多血質(楽天的、社交的)、憂鬱質、胆汁質(劇的、野性的)、粘液質(粘着的、執着的)という四つの性格気質に分けられています。言ってみれば現代日本人の血液型分類のようなもので、19世紀のウィーンっ子たちも似たような話題で盛り上がっていたのでしょうか。

曲は、序奏とその四つのワルツから構成されていて、曲の気分の変化とウィンナ・ワルツの変容がちょっとしたウィーンの洗練の連なりとなって楽しませてくれます。編成も舞踏会のバンド風で、トロンボーンが加わり、木管はフルートとオーボエは1本ずつですが、クラリネットは2本。そしてこのクラリネットの金子平さん(読響首席)が弦楽器群を向こうに回して丁々発止の大活躍。8−6−6−4−2の弦五部からヴィオラだけが2人だけ減員の2プルトになったのはそういうバンドの響きのためなのでしょう。

ヒンデミットは、実は、ウィーン・フィル初来日(1956年)時の指揮者。

もともとドイツ人だがナチスと衝突、オペラ『画家マティス』で「退廃」のレッテルを貼られスイスを経由してアメリカに亡命し市民権を得ている。けれども戦後はスイスに帰還しウィーン音楽院の教壇にも立ったウィーンゆかりの作曲家。弦楽オーケストラとピアノの協奏曲風の曲が私にとっては素晴らしい発見でした。

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小川典子さんも、ヨーロッパで活躍する日本人音楽家のひとりということでも一度は聴いてみたい実力派ピアニストでしたが、期待に違わぬ素晴らしい演奏。禁欲的とも言えるほどの即物主義スタイルも実はウィーン景観のひとつなのだと気づかせるような音楽と演奏。直線的で構成的、手触りの堅いモノクロームのリアリズム感覚で、小川さんのピアノもオーケストラも見事に一致し、見事なまでの描写力です。

ここでようやく休憩。後半はシューベルトの変ロ長調の交響曲のみ。

私は、シューベルトの青春譜とも言うべきこの交響曲が大好きです。

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というのも、子供の頃から好きでよく電蓄に載せて聴いていたのが「ロザムンデ序曲」とカップリングされていたワルターのLPだったから。ベートーヴェンの「モチーフ」的な短く端的なフレーズを執拗に繰り返し、その小さな編成での古典的な響きはモーツァルト的でもあるけれど、音楽はそのどちらとも違う。希求するような哀切さ、優しく語りかけるような人なつこさ、転調や小さな断絶が多い柔らかな親密さはシューベルトそのもの。

ホーネックさんのシューベルトの五番は、そういう私にとって理想に近い…のだけれども、決して満足のいく演奏ではありませんでした。

紀尾井ホール室内管弦楽団にとってウィーン・フィルのコンサートマスターであるホーネックさんを迎えた意義は、やはりクラシック音楽の正統であるウィーンの音楽語法を習得することにあることは間違いがないと思う。ホーネックさんもその期待に一心に応えようとしていることは間違いない。この日のプログラムがそのことを雄弁に語ってもいる。このシューベルトにも実に細やかで、なかなか日本のオケからは聴けない独特の柔らかで優しいフレージングやアーディキュレーションが聞こえてくる。でも、それがシューベルトの全体の顔立ちに結びついていかない。

実は、前日に公開リハーサルがあって私はそれを見学しています。

かなり仕上がった段階でのリハーサルとはいえ、ホーネックさんはしばしば演奏を止めて、細かく手直ししていました。それは驚くほどのディテールでしたし、微妙な感性を示唆するものではあったのですが、ホーネックさんの指揮にはどこかもどかしさがあります。口三味線や傍らのヴァイオリンを手にして手本を示したりはするのですが、なかなか言葉になりません。英語での対話なのですが、どうしても口三味線になってしまい「○○のように。でもあまりやり過ぎないように。」という言い方が頻発。どうしたらよいのかが具体的に伝わらないし、楽団員にその意とするところがなかなか浸透しません。コントラバスの河原泰則さん(元ケルンWDR響首席)が「気持ちがひとつになっていない」と部分練習をリクエストしたり、ほとんどがユニゾンで動くチェロの首席丸山泰雄さんと確認を重ねたりと苦労はありあり。シューベルトの若さと優しさの雰囲気はありますが、表情とか覇気に乏しい演奏になってしまいます。

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演奏者としてのホーネックさんにはウィーンのミュトス(神話、物語)やパトス(感情、情念)はあるのですが、指揮者としてのホーネックさんにはロゴス(論理、言葉)が不足していて楽団員になかなか伝わらないのです。優れた指揮者は、そのたったひと言で楽団員の心がひとつになったり、たった一箇所の修正で音楽全体ががらりと変わることがあります。それがホーネックさんには欠けている。この日のコンサートマスターがフランス派の千々岩英一さん(パリ管副コンサートマスター)ということも相性としてあるかもしれません。

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この日、一番オーボエを勤めたのはエキストラの吉井瑞穂さん。マーラー・チェンバー・オーケストラの首席であり、ルツェルン祝祭管弦楽団ではアバド時代からベルリン・フィルのマイヤーと席を隣にする常連メンバー。エキストラというよりゲスト出演、それも飛び切りのビックゲストともいうべき存在だけれど、この日の演目はソロらしいソロがない。そこがまた紀尾井ホール室内管弦楽団の渋いところですが、やはりそこかしこで吉井さんの音が聞こえてきてうれしかった。特に第2楽章アンダンテでファゴットを仲介にしてフルートと受け渡していくところや、第4楽章のアレグロでのロングトーンなどはアンサンブルの至福を感じさせてくれました。

渋いプログラムですが、本当に中味が濃くて深いコンサートでした。


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紀尾井ホール室内管弦楽団 第110回定期演奏会
ミュトスとロゴス�機峪佑弔竜ぜ繊�
2018年2月9日(金) 19:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(2階センター 2列22番)

ライナー・ホーネック(指揮、ヴァイオリン)
小川典子(ピアノ)
紀尾井ホール室内管弦楽団
(コンサートマスター:千々岩英一)

シューベルト:ヴァイオリンと管弦楽のための小協奏曲ニ長調 D345
J.シュトラウス父:ワルツ 「四つの気質」
ヒンデミット:独奏ピアノと弦楽のための主題と変奏「四つの気質」

シューベルト:交響曲第5番変ロ長調 D485
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