指揮者のジョン・ネルソンは、一昨年の定期でシュニトケやモーツァルトの「プラハ交響曲」を取り上げて、とびきり上質な古典演劇的な溌剌と明るい爽やかな音楽を聴かせてくれた。ソロはそのネルソンが共演を熱望したという小菅優。プログラムは、いずれもフランス、とりわけパリに縁の深い音楽ばかり。いったいどんな音楽を聴かせてくれるのか、心浮き立つ気分で土手沿いの緑の道を急いだ。
第1曲目の「雲の饗宴」は、ちょっと不思議な感覚に彩られた音楽。標題からして妙な感じだけれど、その音楽はドビュッシーやラヴェルなどの印象派の音楽のような官能的で濃密な音響色彩がありながら、それでいてむしろ音色や音の手触りがモザイク的に浮き出て独特の明るく深みのある響きがある。そのことをネルソンはとても丁寧に描いていた。この日の紀尾井ホール室内管は木管群が特に冴えていて、この曲では2番オーボエの池田昭子が時折彼女の得意なイングリッシュホルンに持ち替えて精妙なアクセントをつけてくれた。
小菅優のショパンが素晴らしかった。
小菅のショパンは、パリを目指す若いショパンが抱いた故郷ポーランドと別れ別れになる恋人への愛惜に満ちた郷愁であり哀愁のような連綿たる情感。小菅は、その情感表現のためにあえて音楽の起伏を抑え、細やかな旋律的なアルペジョの極限的なピアニシモに命をかけたようなところがある。その白眉はやはり中間の緩徐楽章。
ネルソンも小菅の遅めのテンポ感をしっかり下支えし、ピアノの響きに薄く陰影をひく下地のような美しい背景を作り出す。ピアノの独白のようなソロに静かに長く寄り添い続ける弦のロングトーンは、譜面上はとても素朴なようでいて聴いているとそれこそ官能の極み。これこそショパンだと、密かに涙を拭いながら心の中で快哉を叫ばずにはいられなかった。
アンコールの『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』にもそういう小菅のピアニシモにかけた表現主張が明らかに込められていたと思う。
三曲目のビゼーのハ長調の交響曲は、同じ青雲の志の物語だけれど、抱いている情感はまるで違う。生前には発表されることのなかった在学中に書かれた習作のような交響曲だけれど、それだけに純粋無垢の古典美と匂うような青春の高らかな歌に満ちている。
私は、この曲が大好きで、それだけになかなか気に入った演奏がない。初めて買ったのがハイティンク/コンセルヘボウのフィリップス盤で、それ以来、このディスクだけを聴き続けている。ハ長調という純で明快な響きと、10代の青年が持つ潔癖感が何の気負いもない軽快さで気持ちを貫き通すような演奏はなかなか見当たらない。
ネルソンの指揮にも、そういう私の過剰な期待に対しては、少々ひねこびたような権威の重力が払拭できていなかったが、オーケストラが素晴らしい快演ぶりだった。オーボエの蠣崎耕三はもちろん最大の立役者で何度も立ち上がって拍手を受けたし、フルートの神田勇哉やクラリネットの金子平もこの曲に絶対的に必要なピュアなソノリティが輝いていた。
三曲を通じて、しばしば耳を引いたのが福士マリ子のファゴット。
どう表現したらよいのかわからないが、深い飴色の暖かく下の木目を浮き上がらせて艶やかに光る木製家具のような音。こんなに暖かく滑らかなファゴットが加わったオーケストラは何て幸せなんだろうとさえ思う。福士は次回定期のオール・モーツァルトでソリストとして登場する。楽しみ。
コンサートマスターは、アントン・バラホフスキー。
つい先月に、ミュンヘンのヘラクレスザールでのバイエルン放送響定期で間近にお見かけしたばかり。グローバル時代ならではのことだけれど、この人がコンマスメンバーに加わったことで紀尾井ホール室内管のアンサンブルが一枚も二枚もレベルアップしたと思う。
翌日の予定が重なり日にちを振り替えて金曜日夜の公演となった。席は、いつもの2階正面ですがかなり右の壁より。思ったよりも壁の影響はなく、視界は変わりましたがいつもどおりの響きだった。
紀尾井ホール室内管弦楽団 第107回定期演奏会
指揮:ジョン・ネルソン
ピアノ:小菅優
コンサートマスター:アントン・バラホフスキー
2017年6月30日(金) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(2階C 2列1番)
ルーセル:「蜘蛛の饗宴」から交響的断章
ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21
(アンコール)
ショパン:夜想曲第20番嬰ハ短調遺作
ビゼー:交響曲ハ長調
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