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2016年10月20日00:36

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ハイランド・クリアランス (スコットランド旅行記 その13)

ウィックの町とその蒸留所を後にして向かったのは、ダンロビン城。

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ウィックの町から再び南下して、インヴァネスへと向かう幹線道路A9の途中にあるハイランド最大の居城です。その当主は、13世紀に創設されたスコットランド最古の爵位を持つ貴族サザーランド伯爵家(Earl of Southerland)です。

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そこは、外見は確かにキャッスルですが、その内観はお城というよりは壮麗壮大な邸宅で、シャトーとかマンションというのが語感としてしっくりきます。イングランドの貴族の邸宅は、英国TVドラマ「ダウントン・アビー」のような古い僧院がもとになったカントリー・ハウスを思い浮かべますし実際にそうなのですが、スコットランドの貴族の起源は猛々しい武士だということなのでしょう。

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そのサザーランド家は、スコットランドではかなり評判が悪い。

というのも、苛斂誅求の領主として高名をはせ、スコットランドの歴史上悪名高い、ハイランド・クリアランスの主役だったからです。

ハイランド・クリアランスとは、農民を半ば強制的に立ち退かせてより収益性の高い牧羊地に変えてしまったこと。同様のこととして、イギリスの「囲い込み(enclosure)」がよく知られていますが、スコットランドの「クリアランス(Clearances)」は、はるかに過酷で強制的なものでした。

特に19世紀末、サザーランド伯爵位を継承したエリザベスとその夫・スタッフォード侯爵ジョージ・ルーソン=ゴア(後に初代サザーランド公爵)は、自分たちの領地をくまなく見て回り、大規模な農民立ち退きと、従来の伝統的な農業に換えて牧羊をすすめ、炭鉱、岩塩抗、ニシン漁などに大規模な投資をして巨大な富をなしたのです。農民たちは言われるがままに借地と借財を取り上げられ、厳しい自然にさらされる沿岸地域の痩せた小さな耕地と家をあてがわれて、そこに移住するしかなかったのです。

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スコットランドは、これにより著しい経済成長と産業革命の進展を謳歌してヨーロッパの辺境から大西洋の一大貿易地として発展しますが、その一方でハイランド地方の人口流出は苛烈で、その後に続いたジャガイモ飢饉もあって北米への移民大量流出のもととなります。

そんな過酷なハイランドの歴史はいまやむかし。ダンロビン城は、まことに平和そのもので、とても立派で素敵。

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どのくらいの人々が当主とその家族のために働いていたのかは知りませんが、何と城内には消防隊までがあって、当時の蒸気機関による消防ポンプ車と隊員のヘルメットが部屋の一角に展示されています。

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城の前には海岸ぎりぎりまで続く広大な庭園があります。

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そこではなぜか鷹匠がいて、ちょっとした鷹狩りやフクロウを操ってのショーをやっていて観光客を喜ばせていました。

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この城は、1785年に大改修されてその時の姿がそのまま伝えられているそうですが、19世紀のハイランドの歴史とも思い合わせると、明治維新、特に廃藩置県によって大名領主の特権が大幅に縮小された歴史に照らし合わせると日本の近代化がいかに階級社会の消滅を急進的に進めたのかということを実感します。

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