mixiユーザー(id:26897873)

2016年04月17日22:28

739 view

「ブダペストの世紀末」(ジョン・ルカーチ著)読了

著者のジョン・ルカーチは、アメリカの歴史学者。ブダペストでカトリック教徒の父とユダヤ人の母との間に生まれるが両親は離婚。カトリック教徒として育つが、第二次世界大戦中の強制収容所に入れられるも生還。1946年に共産化したハンガリーを離れアメリカに移住した。哲学者・批評家のジェルジ・ルカーチとは別人である。

20世紀初頭に繁栄を極め、ヨーロッパ大陸最初の地下鉄が開通し、ウィーンよりも早く路面電車が走り、パリやウィーンとともに新しい芸術や文化が花開いたブダペスト。ルカーチは、驚くほどまでにその詳細を究め尽くしている。

私たちは、マーラーやクリムトらの芸術を通じて世紀末ウィーンには親しんでいるが、ブダペストのことはあまり知られていないのではないか。本書を読むと、その世紀末ブダペストの豊穣なことに目を瞠る思いがする。

しかし、ブダペストの世紀末はウィーンのような絢爛と頽廃とも違うし、パリのような自由主義と多国籍的な新規多彩とも違って、極めて民族的で政治的だった。その運命は余りに悲劇的で、反ユダヤと第一次世界大戦後の領土簒奪、ナチの支配、第二次世界大戦による破壊、共産化と災厄の連続で20世紀半ばには見る影もなく衰退してしまう。その複雑な民族、階級、文化、宗教とせめぎ合う政治思想のアラベスクを本書は余すところなく詳述している。

ハプスブルク帝国がユダヤ人に寛容であったことで、裕福な金融・産業資本家たちを中心にユダヤ人はブダペストの人口の約20%を占めたという。一方で、ハンガリーは当時最も生産性の高い農業国でもあったから、そういう農業主体の地方とブダペストの都市文化は対照的だったという。そのことが一気に反ユダヤの潮流となって20世紀の前半を襲う。反ユダヤとは、ナチ思想という悪玉論だという単純なものではないことが本書を読むとよくわかる。保守的な地主層がユダヤに寛容であり、富裕なユダヤ人の娘を嫁とし、大貴族も爵位を得たユダヤ人と宥和的だった一方で、若い世代の先進的な民族主義者・自由主義者が反ユダヤであり、マルクス主義をユダヤ的なものとして排撃する。

こうしてハンガリーは荒廃していく。第一次世界大戦の混乱で生まれた共産政権の暴政、敗戦と領土縮小、30年代末のナチ化、戦中の破壊、戦後の共産化。そのたびに多くのユダヤ人と知識層は海外へと流出していく。指揮者のユージン・オーマンディは、アメリカに渡った後、自分がハンガリー人である自覚も失ったという。

戦後の復興も大幅に遅れた。破壊し尽くされた古い街並みはいつまでも瓦礫のまま放置されたという。私たちの世代にとってハンガリーといえば、ソ連の戦車が圧殺したと言われるハンガリー動乱(1956年)。ソ連の圧政と抑圧を象徴する事件として伝えられたが、実は動乱後のハンガリーは決して圧政的ではなかったという。戦災の街並みの復興が始まったのはむしろ動乱後であり、共産党政権の強圧的な行政はずいぶんと民主化され改善されたという。民主革命はそれなりに成功したのだ。

そのことですでに89年のベルリンの壁崩壊と東西冷戦終焉を前に、ブダペストは徐々に復興を遂げ、観光地としての人気も高まった。西欧から押しかける観光客にはかつてハンガリーを脱出した人々も多くあったという。オーマンディが、自分がハンガリー人であることを思い出したのはハンガリー動乱で立ち上がり闘ったブダペストの民衆が誇りに思えたからだったそうだ。

日本には世紀末という感覚が乏しい。恐らくそれは日本がその時明治維新という坂を駆け上り列国の一等国までに上り詰める高揚の時代に当たっていたからだと思う。ブダペストの世紀末を詳述する本書を読むと、そういう日本の教育文化が決して欧州に大きく遅れていたわけではないことがよく実感できる。むしろ同時代性を共有している。それだけに戦後、両国の運命を分けたものが何だったのかということに深く思いを致さぬわけにはいかない。





ブダペストの世紀末
ジョン・ルカーチ著 早稲田みか訳
白水社
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する