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2016年01月14日23:35

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「エミール・ギレリス」(グリゴーリー・ガルドン著・森松晧子訳)読了

昨年は、ギレリスの没後30年だった。

本書は、ロシア革命前後のギレリスの幼年期から1930年弱冠16歳で全ソ音楽コンクールで優勝し、モスクワ音楽院に進みネイガウスの教えを受け、1938年にイザイ国際コンクールで優勝、一躍、その名を国際的に知られるようになってからの活躍を年代を追ってたどる評伝であるが、ただの伝記ではない。

原書が出版されるやいなや、ロシアで大きな反響を呼び、初版はあっというまに売り切れ、賛否両論の渦が巻き起こったという。それは主に、ギレリスとリヒテルの評価をめぐってであった。師ネイガウスがリヒテルを賛美しギレリスを冷遇したという本書の内容をきっかけにふたりの偉大なピアニストの優劣論争が激化したのであった。また、本書によって独ソ戦当時に当局に逮捕され窮地に陥った師ネイガウスを、ギレリスが秘かに救ったとの事実も明らかにされた。

ギレリスには「鋼鉄のタッチ」という評がつきまとい、このことでかえってこのピアニストの音楽性のイメージを狭めてしまった。戦前はよくも悪くも国家的なスターとなり、そのことで御用批評家から「技巧性」を酷評され「思想もない技術上の名人」との指導を常に受けるはめになる。一方で、スターリンから偏愛されたことへの反動で、独裁者の死後は、西側へのソヴィエト文化外交政策の序列ナンバーワンの座をリヒテルに譲ることになる。

本書を読んで痛感させられるのは、体制におもねる御用批評家たちのレッテル貼りとそれを盲信追随する音楽愛好家の蒙昧ぶりだ。このことは東西の壁を越えて西側の音楽批評にも波及したのではないか。皮肉なことに音楽家をめぐる評価は、旧ソヴィエトのプロパガンダにすっかり乗せられてしまったかのようだ。

日本でもリヒテルが神格化される一方で、ギレリスは「鋼鉄のタッチ」であってそのベートーヴェンやブラームスは「完璧な技巧」と「豪壮剛健」という名人芸的特質ばかりが強調される。「中身のない、思想もない技術的な名人たち」「表面的な華麗さで、聴衆につけこむ技術だけの名人」とは、本来はソ連の『真の芸術家』に対して「西側のブルジョア・ピアニスト」に向けられたものだが、皮肉なことに日本にもまるでスパイが秘かに拡散させたのではないかと思わせるほど酷似したステレオタイプがあふれている。

こうしたアンチ・名人芸的批評は、いまだに私たち音楽愛好家のあいだに跋扈する「精神性礼賛」に驚くほど酷似している。さすがに「ブルジョワジー」との冠はなかったが、「帝王」「拝金主義」といった同じようなレッテル貼りの言辞は、ある種のスターピアニストや人気指揮者にしばしば向けられてきた。革命ごっこの学生運動に感化された団塊の世代は、こういう冷戦構造をいまだに引きずっているのではないか。

私は、偉大なピアニストであるリヒテルを貶めるつもりはない。リヒテルとギレリスの優劣論争に与するつもりもないが、リヒテルを盲目的に神格化するようなタイプの人々は、音楽の本質を見抜けない「左翼小児病」もしくは「教条主義者」なのだと思う。

本書は、社会主義体制の時代を生きた偉大なピアニストの誠実な音楽性を的確に描出するとともに、音楽界に生きた人々の人間性に及ぼした深刻な「体制迎合」とそれと静かに闘ったギレリスの生き様を多くの資料を発掘して綴っている。





「エミール・ギレリス」
もうひとつのロシア・ピアニズム

グリゴーリー・ガルドン著・森松アキ子訳
音楽之友社
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