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2014年12月30日23:02

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オーディオ論議の行き着くところ(GRF邸訪問記  後編)

以前から切望していたGRFさん宅のDynaudioのConsequenceがついにご開帳ということになり、聴いてきました。その訪問記の後編です。

そのサウンドは決してひとを威圧して意見を封じてしまうというようなものはありません。いたってナチュラルで何の力みもなく、音像は明瞭で細部まで分離し、しかも、あざといコントラストや輪郭線はまったくありません。まさに、『神がお姿を現すときは人間の姿をしている』というもの。

けれども、その普通の面差しのなかに、ソフトの真実を見抜いてしまうような厳しい鋭い視線があるのです。

それだけに最初の音を聴いたときに多少戸惑ったのは事実です。

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ブルックナーの7番の出だしから。この世のものとも思えないほど整ったきれいなサウンドなのですが、音場が小さく両スピーカーの間にこじんまりとまとまっていて、始めはモノーラルなのかと思ったほどです。ヤンソンス指揮のバイエルン放送響は、先月、ミューザ川崎で聴いたばかりなのですが、これはとても平板であの時のオーラが感じられません。これはどうもBR KLASSIKの2chレイヤー特有のものではないかと思います。PENTATONEもそうですが、サラウンドで聴くひとからの絶賛に反して、私はがっかりすることが多いのです。あくまでも5.1chのためのセッティングで2chステレオとしての収録にはなっていないのではないでしょうか。ヤンソンスは「平凡で中庸の名指揮者」という評価がつきまといますが、そういう誤解もここから生じるのではないか。それが、Consequenceによって如実に出てしまったのだと感じました。

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ロストロポーヴィッチ・ベルリンフィルの「くるみ割り人形」の「小序曲」は見事でした。この曲は、私もオーディオチェックに時々使うのですが、コントラバスとチェロの低弦が全休止となっています。その響きの違いは一流のオーケストラでなくとも生演奏ではすぐに感じることなのですが、オーディオではちゃんと出てくることの方が少ないのです。それがここではごく一般的な家庭の居間に飾られたクリスマスツリーの周りでスキップを踏んではしゃぐ子供たちの心のときめきが胸にすーっと伝わってきます。17Hzまで再生するというこの強大なウーファーを持つスピーカーには逆説のような音楽ですが、だからこそ再現できる見事なまでに軽く柔らかい(低弦抜きの)弦楽器群の細かいスタッカートです。

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ペレシュとデュメイのモーツァルト。ヴァイオリンも華美にならず弦と弓の存在感のあるリアルな美音。ここまで微細な弦と弓との接点が入っていたのかと驚嘆するばかり。そして、ああ、ペレシュのモーツァルトのほんとうによいこと。左手が重い団子にならず、低弦が倍音豊かに響盤へ抜けていきながら活き活きと呼吸する。そのうえの高音の表情豊かな意匠が見事です。

こうなると、私のオーディオ耳のスイッチは入りっぱなし。なかなか楽曲のなかに入り込まずに、まずは音の要素を聴いてしまいます。お願いしてマイ・チェックCDを次々にかけていただきます。横では、GRFさんが、「こんな駄菓子屋で買ってきたようなけばけばしいものを」と言わんばかりのあきれ顔で苦々しげに見ています(笑)。

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「市民のためのファンファーレ」は、チェック用というよりはデモ的な爆音ソフトです。けれどもシステムが高度になればなるほど演奏者の数が減っていき、本当の人数がわかってきます。実はたった14人の編成。平然と何事もないようにティンパニーとバスドラムの違いを再生しタムタムの響きも余裕たっぷり。

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幸田浩子さんの「アヴェ・マリア」も、澄んだ張りのあるボーカルと少し艶出しされた焼き菓子のような弦楽器が気持ちのよい響きと空間のなかに浮かび上がります。

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オルフェウスの「パッヘルベルのカノン」。チェック用として幸田浩子さんとともに頻用しているソフト。ポピュラーな名曲ですが、高音弦のアンサンブルが複雑に絡み合い、解像度、歪み、定位の三要素がシビアで、これを完全に納得できるところまで鳴らせているシステムは実は多くありません。3群に分かれたヴァイオリンだけのカノンは、糸筋がひとつひとつ見えるかのようによくほぐれて、左、中央、右中央寄りと対位法的な追走と溶融して混然となる恍惚のハーモニーとの綾が見事。1グループは4人ぐらいの演奏者なのだと思います。そういう情景が目に浮かびます。

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アバド/シカゴ響の「幻想」。最後の第5楽章の冒頭でppでグランカッサのローリングが入るのですが、これがちゃんと録音されているのか、単に再生側の低音が出てないだけなのかという疑問がありましたが、やはり入っていない。鐘は別録りされたものがダビングされていますが、さらに人工的に尾を引くようなエコーが付加されている。そういう加工を容赦なく露呈させるConsequenceの厳しさ。アバドの指揮もシカゴの金管群も凄味がありますが、「名録音」とは言い難い。そういう密かな「決着」に心の中で溜飲を下げました。

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ようやく気が済んだ私はちょっと一息。そこで、GRFさんは、マーラー「大地の歌」から最後の「告別」をかけます。

クレンペラーとクリスタ・ルートヴィヒの名盤中の名盤。私は、ドラや太鼓でドロドロドロと低音を強調する古い録音というイメージがあったのですが、この音には驚きました。確かにアナログのS/N比の限界やそれを克服するための録音芸術的な巧みなバランスコントロールはありますが、これほどに分離よく複雑なスコアの細部と微少な楽器の音色をリアルに納めていただなんて信じられない気持ちです。冷徹そのもので神がかり的な名演であり現代的な音響であったことに気づかされ心中に動揺が走ります。

タムタムやハープの不気味なまでの低弦の響き、チェレスタの天国的な響きは意識していたのですが、少し聴き慣れない音がぽつりぽつりと聞こえてきたときははっとしました。それはマンドリンの音。7番だけではなくここでもマンドリンが使われている。そのことを忘れていたのですが、確かテキストに使用した唐詩集だかに「琵琶」のことを「マンドリン」と意訳されていてそれでマーラーがそのままマンドリンを使用したのだというエピソードを聞いたことがあるのを思い出しました。この「告別」を聴いていてそのマンドリンを意識したことは初めてのような気がします。

闇に魂が消え行くようなルートヴィヒの絶唱をそっちのけで、マンドリンの音色を拾ってくる私のオーディオ耳は、ついにこの日は音楽耳に切り替わることはありませんでした。それは、Consequenceのサウンドがどうしても信じられないという衝撃がもたらした「しびれ」のような呪縛が最後まで解けなかったということでしょうか。

一方で、真実はひとつだ、という信仰のようなものが芽生える瞬間を体験したのだとも思っているのです。

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