クリスマスに近すぎて、そもそもから存在感が弱かった。今から70年前のこの日、A級戦犯7人が処刑された。勝者による悪意の表明の常套手段として。
どちらも読みかけだが、進まない本。右のハードカバー『虜囚』は、計ってみると、実に800グラムもある。手に持つのは数分が限界だ。読書家諸氏は、こんな大きくて重い本は書架台に置いて読んでいるのか?岩波文庫『夜明け前』4分冊の2冊目は200グラム。中高生
七福神といえば、おめでたい🍾図柄の代表だが、インド、中国、日本の神様が集合している。これにヨーロッパ由来のサンタクロースを加えて、八福神としてもいいのでは、21世紀の今や。
写真は近所の庚申塔。随分前から気になっていたが、ようやく判明した。地元の教育委員会が出した写真入り冊子『庚申塔』に載っているのと一致した。1713年、正徳3年に造られた青面金剛像、安山岩製。道路改修で今の場所に移された。道教の庚申信仰が仏教化し
中濱万次郎直系五代目の方の講演を聞いた。テーマはもちろん、幕末に漂流してアメリカに渡り、10年余りを経て帰国した中濱万次郎その人、そして日米関係者の子孫たちの今も続く交流。講演も、休憩なしで続いた質疑応答も、興味深かった。場所を移して
の一つ、学び舎のもの。一部進学校で使われていると知った。見ての通り、日本を三つに分けている。最近のアカデミアの動向に従うとこうなる。
たまたまBICカメラで買ったアフリカ象とチンパンジーの親子のフィギュア。チンパンジーはどこかに置くと小さ過ぎて存在を主張しない。しかも母親🤱の顔が子ども、つまり下を向いている。だから鑑賞は手に取るくらいの位置がベスト。
昨日聞いた講演は刺激的な内容だった。演題は「万葉集にやまと言葉の起源を探る」。講師の小林昭美氏は元NHKディレクターだが、万葉集の研究などを通じて日本語のルーツを探ることをライフワークにしている。配られたプリントからまとめの部分を引くと──。
アジア太平洋戦争や戦争論やナショナリズムについて本を読んだり、考えたりし、その関連で『差別感情の哲学』という本を読んだりしているうちに、そもそも「人はなぜ勝敗にこだわるのか」「人間にとって勝負とは何か」「人はなぜ他者より優位に立ちたいのか」
ナショナリズム、特に「排外的ナショナリズム」の側面について言及していたかもしれないと思い、中島義道『差別感情の哲学』(講談社学術文庫)を改めて手に取った。以前に読んだ気もしたが、鮮明な記憶はなかった。幾つか傍線を引いた箇所があったが、よく覚
大川周明『米英東亜侵略史』を読んだ。手帳サイズでわずか130ページ余の小冊子で、土曜社という出版社から今年3月に出たものだが、初出は1942年1月。前年12月8日の太平洋戦争開戦(米ハワイ真珠湾・マレー半島・フィリピン等への同時奇襲攻撃)から7日目の12
既につぶやきに書いたことだが、改めて整理したい。保坂正康『三島由紀夫と楯の会事件』は「楯の会主宰者としての三島」を描ききった力作。ちくま文庫に入ったのは今年だが、原本は1980年に出たもの。この本は、「三島事件」ないし「楯の会事件」と呼ばれる19
最近買った二冊から。共にまず興味を惹かれた部分のみ読んだ。海老坂武『戦争文化と愛国心 非戦を考える』(みすず書房)は今年3月に出た本。著者は1934年生まれで、戦時中は「国民学校」に通った世代。「戦争文化」という言葉は、著者によると以前から加藤
近年、使われている「アジア太平洋戦争」は、歴史書でも従来の「太平洋戦争」を地理的にアジア大陸まで拡大した用例と、時間的にも1931年の「満州事変」以降に拡大した用例がある。これらは全て事後の呼び名であり、その時代には満洲事変、「支那事変」「大東
図書館から借りている本の期限切れ通知が来た。大半は飛ばし読みでやっつけていたが、読んでいない2冊のうちの一つが堀場一雄『支那事変戦争指導史』。資料も含め1000ページを超える。戦時中、軍中枢当局にいた著者は戦後の昭和28年に没したが、序の冒頭に「
このテーマについて、少なくとも自分なりの納得感が得られるまで追究してみようと思う。テーマを分けてみるとーー。1 銃後の好戦性:個人的には、日本人の大多数がこの未曽有の戦争を、時に熱狂的・狂信的に支持したことに最も関心があるが、無名の人々がど
是枝裕和監督『万引き家族』を見て、主な登場人物の1人である疑似家族の中の父親を演じるリリー・フランキーが気になった。その「軽さ」というか、独特の存在感というか。是枝監督が彼を起用する理由も気になる。仕事中に足を怪我して働けなくなったが、治っ
清水透『ラテンアメリカ五百年』(岩波現代文庫)は、「先住民社会」と「ヨーロッパ人征服者」の関係性を軸に、ラテンアメリカを3つの場に類型化している。1. 先住民社会の存在を大前提として植民地社会が成立した空間=メキシコや大半の中米諸国、アンデス
昨3日の朝日で片山杜秀・慶大教授が、1935年の「天皇機関説事件」と2014年の「集団的自衛権行使容認の閣議決定」の相似を指摘している。大正デモクラシーを支え、国家的にも定説とされてきた美濃部達吉の「天皇機関説」が1935年、「天皇大権は憲法を超越する
連休前半の朝日新聞には、憲法論議、中央銀行の在り方の改革、モリカケ問題(近代日本政治史上の「明治14年の政変」=伊藤派vs山県派の対立を踏まえて)など様々な議論があったが、少し前の4月26日の「政治と官僚 透明な人事へ審査機関を」という小熊英二
女優・山口果林の自伝『安部公房とわたし』文庫版の著者自筆サイン入りはまだ読みかけ。山口果林と安部公房の愛人関係については、ずいぶん前に聞いたか、記事の見出しか何かで見かけたかした気はするが、僕自身にとってだけでなく全世界にとって、この本ほど
気になって捨てないでいた3月12日の朝日の記事。オランダでの食肉処理に関する新規制を巡るもの。この国では一定の条件下で、「家畜の意識を失わせてから処理する」義務が強化された。たとえ食肉とされる家畜=動物でも、「苦痛を与えてはいけない」という思
新潮新書『イスラム教の論理』を読書中なう。著者は飯山陽(あかり)という若手女性学者。それにしても、ムハンマドという「とんでもない男」が地球に生を受けてしまった!ものだと思う。全ての多神教信者や異教徒をイスラム教に改宗させるか、滅ぼす
このところ日々のニュースや、読書欄なども含め読んでいる新聞記事でも特に反応したいものがなかった中で気になったのが、しばらく前だが朝日2月18日の曽我豪「日曜に想う『経世会とは何だったのか』」という政治随想ともいうべき記事だった。曽我氏は政治記
『日本キリスト教史 年表で読む』の冒頭近くにあった印象的な箇所。かの聖人フランシスコ・ザビエルは「日本人信者の悲しみ」を書簡に書いている。「地獄に堕ちた人は救いようがない」というザビエルらバテレン=宣教師の言葉に、日本人は深く悲しむ。「死者
霞信彦『軍法会議のない「軍隊」』(慶應義塾大学出版会)という本を読んだ。きっかけは新聞の読書欄の片隅の小さな書評記事だが、気になって求めた。軍法会議とは、軍隊内の裁判制度。世界中のどの国でも、近代的軍隊には、その内部に一般社会の司法制度とは
25日の朝日・論壇時評で小熊英二が重要な指摘を行っている。日本で現実に施行されている政策が、あるべき福祉とは逆指向になっているというのだ。その結果、近年の意識調査で「高福祉高負担」を支持するのは高所得層に多く、低所得層に少なくなっているという
東浩紀『観光客の哲学』を読んだ。その最終章は、21世紀の現在の「世界論・存在論としてのテロリスト論」だが、論考で援用されるのは19世紀のドストエフスキーだ。印象的な箇所を引いてみる。<なぜドストエフスキーなのか。それはいまがテロの時代だからであ