国産ジェット機の生産は、
日本の航空機産業界の悲願であった。
三菱重工業が挑戦していた国産初のジェット旅客機
スペースジェットはついに、完成を見ることなく
開発からの撤退を決めた。
スタートは2008年。
リーマンショックに経済界が大揺れに揺れた年だった。
いらい15年の歳月と1兆円規模の資金を投入してものの
商用運航に必要な型式証明の取得に苦労しているなか、
コロナ禍による市場混乱もマイナスに働いた。
15年の歳月は、時代変化が加速した時でもあり、
それまでの15年とくらべれば
実感は半分ほどの短さに感じるのではないか。
気候変動問題を背景に欧州などが航空機による移動を
制限した影響も決して小さくなかったであろう。
こうした流れのなか、国産ジェットの意義も薄らぎ、
日本の航空業界全体の官民の意気込みも尻つぼみしていったのだろう。
日本の航空機技術は、戦前の零戦に代表されるように、
世界屈指であった。
敗戦のペナルティで航空機の開発製造はできなくなり、
制限を解除された後に生産した国産旅客機YS−11で
気を吐いた時がピークだったのかも知れない。
航空機技術は日進月歩であり、
戦後の長い空白期間を埋めることはできなかったわけだ。
三菱重工社長は1兆円は「レッスン代」になったといったけれど、
いま、問われているのは日本人の物づくりの真価ではないか。
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