昭和6年、帝国陸軍の参謀本部は、
満州をどうやって日本の国に取り込むか
作戦を練っていた。
出した答えは張作霖(軍閥の指導者)の暗殺で、
それも中国人の仕業に見せかけてでっち上げた。
その事件を契機に満州に住んでいる邦人保護を目的に
帝国陸軍は満州に侵攻した。
日本政府は、満州全体を支配下において、傀儡政府を樹立。
日本の国際社会への言い分は、当時脅威になりつつあった
ロシアの満州への侵攻を防衛するためであった。
これは歴史上、満州事変と呼ばれている。
そして今。
ロシアのプーチン大統領は、
ウクライナに住む親ロシア住民が、
ネオナチによって迫害を受けているとして、
住民を守るために、軍事侵攻した。
ウクライナから現大統領を追い出し、
親ロシア派の大統領による傀儡政府を樹立して
事実上のロシアへの併合を狙っている。
ウクライナ政府はもちろん、米国、EUなど西側では、
新ロシア派への住民迫害もネオナチもロシアのでっち上げであると
強く批判している。
もうひとつ、
昭和7年、日本は内乱状態で混乱していることに乗じて、
中国侵略を企てる。
軍部は上海で、中国人を雇って日本人僧侶虐殺事件をでっち上げ、
上海に住む法人保護を目的に軍隊を投入。
こちらは、歴史上では上海事件とされている。
どこまでも事件であり、戦争でも侵略でもないとしているところが、
プーチン大統領がウクライナ侵攻に戦争という言葉を使わず、
特別軍事作戦などと表現していることに酷似している。
昭和6年から7年といえば、今から92、3年前のことが、
まるで写し絵のように繰り返されている事に気づかされる。
プーチンはどこで満州事変と上海事件を学んだのだろうか。
満州事変、上海事件はその後、日中戦争、太平洋戦争へと拡大。
そして、日本の敗戦で終わっている。
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