冬季五輪も夏季五輪も、
年々派手になり、スポーツの祭典というよりは、
スポーツのショーのように見えてくる。
1984年のロス五輪以来、商業五輪となったのだが、
その後、競技数も増えつづけ、年々、靴やウエア―、器具類も
商業路線にのって改良、改善されてきた。
そのことは決して悪い事とは思わない。
ただ、こうしたさまざまな進化が、
スポーツのもつ原点から乖離し始めているのではないか
それが危惧されるのである。
あれは、1960年の第17回ローマ五輪のマラソンで、
エチオピアのアベベが、金メダルに輝いた。
彼は、ローマのまちに設定された42.195�劼髻�
裸足で走りきったのだ。
アフリカの大地の延長線上を走るかのごとく、
細身の身体は神々しく、ローマの石畳を駆け抜けた姿は、
まさに五輪競技の本来の精神性そのものだった。
裸足のアベベは、1964年の東京五輪にも出場し、
マラソンで再び、金メダルを獲得した。
人類は進歩を重ね、多くの物を得てきた。
しかし、同時に多くの物を失ってきた。
現在の商業五輪が、その失ったものの輝きを、
なつかしく思い出させるのは、
なぜだろうか。
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