著者が取材した国際的に活躍する現役のアーティストから35人を厳選して、インタビューで得た彼らの素顔や、音楽にかける真摯な思いなどを通じて、そういうアーティストたちの個性豊かな魅力を語る。
著者は、音楽ジャーナリスト。いわゆる音楽評論家というのとはちょっと違う。
自身のホームページのプロフィールには、『クラシックは「生涯の友」となり得るものであるとの信念のもと、各アーティストの演奏、素顔、人生観、音楽観を自分の言葉で人々に伝えることに全力を傾けている』とある。
本書も、自ら取材し引き出してきたアーティストたちの話から、『ひとりでも「ぜひ、コンサートにいってみたい」、1曲でも「録音を聴いてみたい」という気持ちになってくれたら本望』(「エピローグ」)という思いで書かれているという。
35人と数は多いが、ひとりひとりにさいているのは数ページほど。プロフィールや経歴の紹介と、インタビューで得たアーティストの肉声をコンサイスにまとめていて読みやすい。文章はとても滑らかで運びがスムーズ。まるでつるつるの上質なコート紙に美麗に印刷されたコンサートのちらしを一枚一枚めくるように読めてしまう。そういう光沢感が、この本の特質なのだと思う。
現役…という選別は徹底している。だから、CDなどの録音メディアを通じて楽しむというよりは、やはり、コンサートゴアー向けの紹介なのだと思う。古い名声の確立した演奏家は登場しないのだから、クラシック音楽紹介にありがちな、伝説めいたある種の権威のようなものがないのは、とても潔い。ミーハー的と言ってしまえば身も蓋もないが、だからこそ「クラシックの世界にようこそ!」という親しみやすさがある。
もっとも、「過去の」演奏家も、そういう現役のアーティストの口から語られるという形で登場する。
ピアニストのアンスネスの口からアーノンクールが出てきたり、ヴァイオリニストのクレメールが「もっとも印象に残る共演者」としてバーンスタインを挙げているのも意外だけれども…、
最頻出はカラヤンだ。
バーンスタインとカラヤンは、何かと対立派閥を形成しがちだが、その二人と何度も共演したピアニストのツィメルマンの語る二人の対比は、いかにも…というところだが、その描写はとても生き生きとしている。彼の語るカラヤン像は「音楽の完成度の高さ」「完璧さを求める求道的な姿勢」というもの。このことはヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターの証言とも一致する。彼女は、『マエストロとは仕事の話ししかしなかった』と笑いながら、『カラヤンはすごく怖かったし、完璧主義者で音楽ひと筋だったから、私はいつもピリピリ、笑うどころじゃなかったわ。彼はジョークをいう人ではなかった』という。
この【怖い】【完璧主義者】という証言は、指揮者のマリス・ヤンソンスも異口同音に繰り返している。
その中で、世代交代の奇跡の瞬間を思わせる証言を、ピアニストのエフゲニー・キーシンが語る。当時17歳のキーシンは、死の前年のカラヤンとザルツブルクで初めて出会い、控え室でショパンを弾いてみせると涙を浮かべて感激した巨匠はその場で共演を決める。しかし、いざチャイコフスキーのピアノ協奏曲を録音するとなると、巨匠は、リハーサルではこま切れに止めていろいろ口を出す。『従来のテンポは速すぎる』『いままでにないようなすばらしいチャイコフスキーにしようじゃないか』と言って、キーシンが『どんなにテンポを上げてオーケストラを引っ張ろうとしても、制されてしまった』という。
確かにあのチャイコフスキーは、神がかった名演だ。
35人の演奏家が語る
クラシックの極意
伊熊よし子著
学研プラス
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