面白い…が、どこか物足りない。
オスカー・ワイルド「サロメ」は、高校生の頃に読んだ。福田恒存訳の岩波文庫で、挿絵入りというのが珍しく、確かにビアズリーの挿絵が活字をすっかり喰ってしまったという印象が強い。この物語にくり返し触れるのはR.シュトラウスの歌劇のほうであって戯曲そのものを読み返すこともない。
ピアズリーの線描画は、確かにセンセーショナルで画家自身が結核のために夭折したためにどこか謎めいている。その挿絵の画風はストーリーを解説し追っていくというよりも装飾的な装画というに近く人物の顔相も一貫しない。けれどもビアズリーにせよワイルドにせよ、そのバイオグラフィーはかなり解明されていて、さほど謎めいたものではない。ワイルドが男色の罪で収監されていたことも、そのスキャンダルに巻き込まれたビアズリーが世論からたたかれ追放されたことも公然たる事実だし、前後して姉との近親相姦も囁かれていたこともよく知られている。彼が、ワイルドも含めてその装画に様々な人物のパロディめいた似顔を織り込んでいることもよく知られている。ビアズリーは、スキャンダラスであっても、実は、謎めいたものはないのだ。
ワイルドやビアズリーは、ともに耽美的で退廃的でさえある作風とその破天荒な言動によって当時の社会に大きな衝撃を与え、多様な影響を残した。その人物像には複雑で沈痛なまでの人間の本性が潜んでいて興味が尽きない。その意味では、詳細な評論であったり、評伝であったり、社会学的な分析の尽きない対象として、そのカルチャルな存在感はいまでもはかりしれないものがあると思う。
それが、いささか安上がりな作り物に仕立てあげられてしまっている。謎でもないことが謎めいて語られ、少年愛や同性のまがまがしい性愛がぼかしを入れて安全にやり過ごされている。読み進むうちに、ビアズリーの絵を描写する本文の雄弁さにも少しも心が動かされなくなり、むしろ、ビアズリーの絵そのものが見たくなり、実在の登場人物の伝記の細部を知りたくなる。読み進めば読み進むほどに本文のお話しはいささかどうでもよくなって作り話への興味はどんどん薄れていく。
どうやら、ビアズリーやワイルドの魔力は、この今風に仕立て上げられた恋愛小説そのものも喰ってしまう…ということのようだ。
「サロメ」
原田マハ著
文藝春秋社
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