地味な存在ながらいつも感服させられるのがこの人。
日本人として、間違いなく最も数多く聴いているピアニストのひとりになるのですが、思い返せばいままで一度もソロを聴いていない。今回は、ソロが聴ける。しかも、バッハ。
そして、またしてもやられました。それも完膚なきほどに。
とにかくタッチがしなやかで柔らかく美しい。透明な響きと音色に暖かみがあって、しかもアーティキュレーションが鮮やかで聴き取りやすい。正統で精確で、和声進行が聴き取りやすく内声が心地よい。
繰り返しの強弱のコントラストやさりげない装飾付けなども実に濃やかに磨き上げられていて、少しもこれ見よがしのコントラストの強調もないのですが、とてもよく考えられ準備された繊細な即興が、とても洗練されています。
第1番の変ロ長調は、可憐で愛らしい。朗らかな足取りのプレリュードはとても魅力的。細かいアルペジオの連続のなかに優しい鼻歌のような内声が聞こえてくるアルマンド――その左手が見事。サラバンドもメヌエットもステップが優雅でそれでいてとてもシンプル。ジーグが楽しい。
第2番のハ短調は、まるでベートーヴェンの「悲愴」のように劇的に響くけど、津田さんのバッハはずっとピュアで清冽。激することは決してない。哀感と包み込むような愛情に満ちています。
東博でバッハはよく通っていますが、平成館のエントランスロビーはたぶん初めて。その響きの良さが意外でした。東京春祭の一連のミュージアムコンサート会場のなかでピカいち。もしかしたら、いわゆるサロンコンサートの会場のなかでもトップクラスかもしれません。大理石の壁面と堅いフロアに囲まれていますが、響きが過剰に感じられることもなく、広すぎることもないので残響もほどよく収まります。
使用していたピアノは、ヤマハ。
サロンのスペースに合わせた、コンサートグランドに較べると小ぶりのピアノ。とはいえスタンダードグランドとしては最大のC7。いかにもヤマハらしい、均質でバランスのよい美音。ロマン派的に音域でキャラクターを変えることもなく均整のとれた帯域バランスは、バッハにはぴったり。楽器の選別から、調律まで、こんなサロンコンサートであっても周到に準備されたものだと感じます。
休憩を挟んで、口直しの「半音階的幻想曲とフーガ」。これが前半の二曲との架け橋の役目を果たしてくれて、その後の第6番が圧巻でした。
パルティータの中でも、35分ほどもかかる大曲。レコードなどでは何度も聴いていても、なかなか生で聴く機会の少ない曲だと思います。
フーガとの二部構成の堂々たるトッカータ。再び、トッカータの上昇アルペジオの音型が戻ってフーガで高揚した気分を鎮めるように静かに曲を閉じます。決して情に溺れることのない優雅な風格が見事。続くアルマンドも情緒豊か。津田さんのペダルはとても抑制されたもの。シフのようなノンペダルもあり得るわけですが、津田さんはとても抑制の効いたものではあっても、むしろ積極的にペダルを使っています。豊かな情感にあふれていた前半の二曲にもその効果が顕著でしたが、この第6番では、心地よいアーティキュレーションのなかに厚みのある豪華さをも演出します。クーラントからは、ふっとギアが上がってアリアは歩速の早いギャロップ。サラバンドは絢爛なアラベスクの世界。ガヴォットからジーグへとグルーブ感が一気に加速していく。ジーグは単に高速度の終曲というだけでなく、三声のフーガが上昇型と下降型の対照をなす二重フーガになっていて、そのグルーブ感覚に上下に翻弄されるような高揚感も加わって圧倒される。
バッハのクラヴィール曲の頂点、その鍵盤楽器による組曲の最高峰ともいうべき最高傑作を聴いたという充足感に満たされてしびれるような思いさえしました。
東京・春・音楽祭2024
東博でバッハ vol.67 津田裕也(ピアノ)
2024年4月3日(水)19:00
東京・上野 東京国立博物館 平成館ラウンジ
ピアノ:津田裕也
J.S.バッハ:
パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
J.S.バッハ:
3声のインヴェンションよりシンフォニア 第7番 BWV793
2声のインヴェンション 第6番 BWV777
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