私たちがいま見ている現代都市を歴史地図に重ね合う面白さは、多くは江戸時代との対比が多い。こちらは、むしろ明治以降の近代史の東京の移ろい。
それはすなわち日本の近現代史。産業革命の進展であり、そこには鉄道の発展、なかでも東京は地下鉄の歴史が長く、しかも、世界的な都市交通ネットワークにまで進化してきたという歴史がある。戦前といえば軍隊。東京は帝都として軍事施設が集中していた。また、戦後の著しい高度成長の証しは、道路とともに住宅開発の歴史として刻まれる。
こうした都市の来歴は、お江戸の昔よりも、はるかに生々しい。それだけに本著は尽きせぬ興趣が満載というわけである。
軍国日本が戦後に平和国家に生まれ変わり、生活優先の復興政策を経て高度成長を遂げたことは、戦前の軍事施設が、戦後、大規模な住宅地へと転用されたことに現れている。広大な軍事施設の用地は団地となり、軍用の鉄道路は「廃線分譲地」となった。
特に東京で育った私にとっては、いずれもとても身近な話し。団地育ちでもあったせいか身の回りには軍事施設の痕跡が濃厚だった。小学生の私がよく遊び場にしていた都立駒場高校の大きなグランドが明治天皇も閲兵した騎兵馬場だとは知らなかったが、その片隅にあったコウモリの巣になっていた弾薬庫の壕でよく薬莢を拾った。今では校内のグランドを見下ろす場所に石碑が建てられているそうだ。
現に私がいま住んでいる赤羽には、廃線分譲地の痕跡が目にも鮮やかに残っている。その線状の土地が、広大な赤羽台団地を貫き、西が丘のサッカー場やオリンピック強化施設である国立スポーツ科学センターにまでつながっている。それが本著の航空写真で鮮やかに映し出されている。そもそも私が育った上目黒とこの赤羽はどこか風情がよく似ている。どちらも軍事施設の跡地だからだ。
興味深いのは何と言っても地下鉄の話し(「地下の秘密編」)だろう。
東京の地下鉄は不思議が多い。現在の都営浅草線はかつて「都営1号線」と呼ばれた。日比谷線は「2号線」。ところが地下鉄として2番目に古い丸ノ内線は「4号線」。この開通順番と番号の関係は不可解。その謎解きが東京の交通網のカギを握っている。それはまた実際の地名、町名からするといささかいびつな駅名の謎も解き明かしてくれる。
深すぎる地下鉄、浅すぎる地下鉄、地上の地下鉄といった地下鉄の深度の不思議も面白い。そこには地下鉄をねぐる様々な深謀遠慮が潜んでいる。それはまた日本の土木工学の様々な技術史のエピソードもはらんでいる。
地下鉄の話しから、皇居や霞ヶ関など東京の中枢に潜んでいる地下壕の話しや怨霊神の話しにまで発展する。
この他、上野公園や芝公園などの公園の今昔、谷中や青山、多摩の霊園開発、玉川上水など上水道にまつわる話し、私の世代には記憶に生々しい西新宿にあった淀橋浄水場とその跡地開発、村山などの貯水池、荒川、隅田川とその周辺の河川つけかえなども様々な経緯を経て今の東京にその過去の輪郭を刻んでいる。
地図と愉しむ東京歴史散歩(カラー版)
〃 地下の秘密編(カラー版)
竹内正浩 中公新書
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