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2023年02月26日12:21

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「カーニバル戦争」としてのアジア太平洋戦争2

「従軍記者」は、カーニバル戦争(「総力戦体制でも統制できなかったメディアと大衆の動向」ともいえる)で最初の「王」となった。これに続いてウチヤマ氏の『日本のカーニバル戦争』で取り上げられるのは「職工」。この本によると、日中戦争が本格化すると日本では職工の賃金が急激に上昇し、他の第二次世界大戦交戦国に比べて、日本の職工は最も羽振りが良く、経済的・社会的地位が高くなった。もちろん技術の希少さや熟練度などによって個人差が大きいが、ある月のある職工の給料が「総理大臣を上回った」という新聞記事まであった。

著者が「職工」に注目したきっかけは、山田風太郎の『戦中派虫けら日記』だったかもしれない。僕がそう思うのは、『日本のカーニバル戦争』という本が山田風太郎のある日の日記から始まるからである。僕がこの本を積ん読にしておいた最大の原因は、「こんなところに使ってほしくない」という反発だったような気がする。僕は山田風太郎の戦中派日記シリーズのファンだったから。

山田が戦後になって、「聖戦」を信じた戦時中の自らの日記を、「虫けら」と突き放さざるを得ないような時代状況。敗戦前後の人々の落差への戸惑いから立ち直れない山田や戦中派の人々の心中を思うと、僕は胸が苦しくなる。少なくとも年少の日系アメリカ人学者よりはるかに共感する。――つまり僕は、山田に戦中派世代の「思想家」を見ていた。

一方、ウチヤマ氏にとって山田の日記は、「戦時中の銃後の国民生活の描写の宝庫」だったろう。(ウチヤマ氏の本でなく、僕が山田の戦中派日記を読んだ記憶でいうと、実際、日記そのものは淡々とした日常生活の記録が大半を占めている。兵庫県北部の実家が開業医の家系で、戦時中に上京し、医学校に入るための浪人を経て合格するが、生活費は軍事工場だった沖電気の職工として稼ぎ、戦時中でもサーカスに行ったり、映画を観たりして東京生活を楽しむ一方で、分野を問わない濫読・乱読が、膨大な書名の羅列として記録されている。山田の美意識なのか、受験勉強のことは一切書かれていなかったと記憶する。)また、ウチヤマ氏にとって山田の日記が印象深いからだろうが、日本語版では本の最後にも山田の日記から引かれた一節がある。

ウチヤマ氏によると、アジア太平洋戦争が終末期を迎えるまで日本では青年成人男子の多くが軍に徴集されたため、銃後に残り工場で働ける男子が優遇されたのに対し、イギリスなどでは女性が工場の主力になり、国内にいた男は戦場の兵士より劣る存在と見なされるなど、国ごとに銃後はさまざまな状況であったという。
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