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2023年02月25日22:05

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「カーニバル戦争」としてのアジア太平洋戦争

ベンジャミン・ウチヤマ著、布施由紀子訳『日本のカーニバル戦争 総力戦下の大衆文化 1937ー1945』(みすず書房)を読んだ。読みかけと積ん読の本の中で、先週の『戦争とフォーディズム』の次に、「読了すべき本」と思い定めていた。

英語の原著は2019年の刊、この日本語訳は2022年8月に第一刷発行。著者はアメリカの南カリフォルニア大学准教授で、本書はその博士論文がベースになっている。奥書によると、ウチヤマ氏は2005年にハーヴァードで修士号を取得とあるから40代前半か。苗字から日系アメリカ人と思われる。

その彼から見ると、先の戦争は何と「カーニバル戦争」!だという。ともに1930年生まれで亡くなった半藤一利さんや佐藤忠男氏、さらに広く戦争を経験した世代の人たちがこれを知ったら(読んだら)どう思うか?と気になっていた。

著者が拠っている「カーニバル」の概念は、ロシア(〜ソ連)の文学理論家ミハイル・バフチンが、「ある社会的・文化的状況で突如として沸き起こり、既存の秩序を転倒させて、破壊し、再生へ導きさえする社会的な力」と定義しているという。これでは抽象的で分かりにくいが、本書によれば「狭義の『カーニバル戦争』は、1937年8月から12月にかけての上海−南京攻略戦をめぐるメディアの熱狂ぶりを指す」。

本書が拠って立つもう一つの理論・学説は、1988年に発表された山之内靖の「総力戦体制論」である。それまで支配的だった「ファシズム対反ファシズムの戦い」として第二次世界大戦を捉える見方を批判して、アメリカのニューディールも日・独もともに等しく国家主導による「総力戦体制」にあり、その下で福祉国家的な近代化も加速された、とする。山之内によると、戦争の遂行・勝利に向けた総力戦体制は「元は高度な階層化・序列化された敵対的な『階級社会』であった銃後の社会を、より『均質的』な機能主義的な『システム社会』へと変容させた」。

ウチヤマ氏は本書で、2人の理論を踏まえた上で、総力戦体制論では追究が不十分だった、国家が統制しきれない国民の、「臣民」ではない「消費者」としての側面を拡大し、焦点を当ててみせた。旧来の階層秩序が破壊された総力戦体制下のカーニバル状態の中で立ち現れた「王たち」として、著者は銃後の国民から「従軍記者」「職工」「兵隊」「映画スター」「少年航空兵」の5者を取り上げる。戦時カーニバルの「王」は他にもいたが、これら5者が選ばれたのは、当時の新聞や雑誌に大量の記事があるからという、やや便宜的な理由もある。

「従軍記者」は、1937年の上海−南京攻略戦という、著者がこの戦争の開始期と捉える(つまり、満州事変を開始期とする「15年戦争」とは捉えない)戦いの報道で躍り出た存在だから、叙述の最初に来るのは自然だが、読みながらあまり心地良くはなかった。というのは、ここに出てくる記者たちが中国での戦闘をあまりにもゲームのような感覚で捉え、描いているから。なるほどと思ったが、この時期には記者も読者も、いわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」なども含む大正から昭和初期にかけてのかなり低俗な大衆文化の感覚・感性を引きずったまま戦地に赴いた、ということ。中国の兵士や民間人の殺戮に「スピード」や「スリル」を味わっていたのだ。大量の記事を読む限り。

(続きは追って)





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