mixiユーザー(id:7131895)

2021年04月18日00:52

99 view

ローマ人がキリスト教徒になる時

最近の僕の読書と知的関心は、「ローマ帝国とキリスト教」にフォーカスされている(その前は中国史とそれに付随・関連して中央ユーラシアだったが、その反動だ)。その原動力は、世界三大宗教の一つとされるキリスト教が、なぜどのように「ローマ帝国の宗教」、国教になったのか?に対する素朴な疑問である。

興亡の世界史『地中海世界とローマ帝国』(本村凌二)では、キリスト教の国教化もローマから新都コンスタンティノポリスへの重心の移動(「ローマの東方化」と言ってよいか? 歴史家は言ってなさそうだが)も印象に残っていない。
 辻邦生『背教者ユリアヌス』を読んだ時、正面から内容を評価するにはローマとキリスト教をもっと知らなければ、と思った。
 その後、ギボン著・中野好夫訳『ローマ帝国衰亡史』と塩野七生『ローマ人の物語』の、(蛮族との戦闘や国内政治の多くは端折って)コンスタンティヌス帝やユリアヌス帝、その前後の皇帝とキリスト教との関りの部分を読んだ。(ただイエスの時代から300年ほども経ているから、さらに前史も知る必要がある)

その中で印象に残るのは塩野さんの描く、コンスタンティヌス帝と司教アンブロシウスである。コンスタンティヌス帝がキリスト教に帰依した切実な理由が、「皇帝の地位の正統性を保証するのは、元老院など地上の勢力ではなく、天上の神だ」というアイデアだということ(現実には、「キリスト教の司教」が「神」の声を聴き、地上の人間に伝える)。

もう一つは、紀元374年から397年までミラノ司教で、現在もミラノの守護聖人であるアンブロシウスが、同時代とその後の「世界の中のキリスト教」に与えた影響の大きさである。
 実は彼がミラノ司教になった経緯そのものが、「宗教における政治」の極致かもしれない。彼はローマの貴族階級出身の高級官僚で、ミラノを含む地方の県知事のような役職で赴任していた。当時は後にカトリックの正統となる「三位一体」を教義とするアタナシウス派と異端であるアリウス派の対立が激しかったが、ミラノ司教の座が欠員となった。その時、アタナシウス派が候補として白羽の矢を立てたのが、43歳のその時までキリスト教徒でなく、しかも高級官僚のアンブロシウスだった。なぜか彼はこの唐突な無理難題を引き受け、アタナシウス派は極めて短期間で彼に司教の座にふさわしいとする研修を受けさせた(と主張した)上で推薦し、それは実現した。
 恐らく、司教ともなると篤い信仰心だけでは不十分であり、抜群の行政手腕と、皇帝やローマの元老院などに顔が利く、という現実的側面を見込まれたのだと思われる。

――肝心の、アンブロシウスの司教としての事績については、時間のある時に譲る。



3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年04月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

最近の日記