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2021年04月10日23:55

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信仰の世俗的動機

ギボン著・中野好夫訳『ローマ帝国衰亡史』をまず第20章だけ読んだ。10冊本文庫のうち古本を取り寄せた第3巻には、キリスト教をローマの国教化したコンスタンティヌス大帝と、後にキリスト教会から「背教者」との汚名を着せられた甥のユリアヌス帝が含まれ、第20章はコンスタンティヌス帝とキリスト教との関りを主として描いている。

コンスタンティヌス帝がキリスト教に入信、改宗する経緯の軸としてギボンが描いているのは、両者のかなり「世俗的な利害の一致」である。長年さまざまな迫害や禁令を受けてきたキリスト教徒・教会にとって、その当時の世界だったローマ帝国の「皇帝」は地上における別格の存在であり、「皇帝一人が信者となること」が与える影響の甚大さを考慮すれば、皇帝が他の信者らに比べて扱いにくい、わがままな存在であることなど何でもないことであり、何があっても目をつぶってきたといえる。
 一方のコンスタンティヌス帝にとっては、長男を殺害したことなどの数々の悪行を従来の宗教の神官らが赦免してくれない中で、キリスト教会だけは受け入れてくれた。ギボンは、この先例が悪い手本となって、後の皇帝らが「どんなに悪いことをしても、後で悔い改めれば許される」と考えるようになったと指摘、批判している。

――ギボンは皇帝も司教・司祭ら聖職者も例外視せず、ただの人間として見ている。この司馬遷にも備わっていた人間洞察力がギボンの魅力の一端ではないか。
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