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2017年07月17日12:41

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《心境》の音楽 (田部京子 ピアノ・リサイタル)

田部京子が、浜離宮朝日ホールで続けているドイツ・ロマン派のリサイタルシリーズ。昨年から始まった新シリーズ『シューベルト・プラス」の第二回。

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プラスされたベートーヴェンの31番目のソナタもシューベルトもいずれも二人の大作曲家の最晩年の作品。

曲を俯瞰すると、わずか7年の間に書かれた作品であることがわかる。

ベートーヴェン 作品110  1821年
シューベルト D.899   1827年
シューベルト D.958   1828年

30歳近く歳が離れ、音楽史上は古典派とロマン派とに分けられる二人の作曲家の「晩年」というのはそれほどに重なり合っていた。

シューベルトは、病に伏したベートーヴェンを見舞い、その直後に没したベートーヴェンの葬儀に参列し野辺送りの葬列の松明を侍している。即興曲はその直後に書かれた。ソナタ第19番は、ほかの2つのソナタとともにその翌年に書かれたが、シューベルトはそのわずか2ヶ月後に世を去ることになる。

ベートーヴェンの最後のソナタは、しばしば重く捉えられがち。孤高の精神性、叙情と思索の深い精神世界…などなど。でも田部のピアノにはそういう気負いがない。第一楽章には爽やかな古典的な様式美に身を任せる心境があって、第二楽章の諧謔も小さな孫を追う老爺のよう。第三楽章は、まるでひとりで揺り椅子にすわって懐かしい歌を口ずさむ老婆のよう。巨大さを追い求められがちな最後のフーガも、田部はどこか寂しげにテーマを奏で始め、あくまで懐古、憧憬の音楽としてバッハ的なフーガを紡いでいく。つい先日聴いた児玉麻里の「ハンマークラヴィーア」とはずいぶんと違う。

ロマン派の「ロマン」とは19世紀に隆盛を極めた文学、美術、哲学のロマン主義に応じて名付けられている。音楽としては「劇性」というかドラマチックなストーリーが封じ込まれていて、人文主義の高い理想のメッセージ性を潜ませる。そういう音楽の扉を開いたのがベートーヴェンだった。

でも、この日の田部のベートーヴェンにはそういうものがない。格段のストーリーもないし、歴史的弁証法的な対立も葛藤もない。その音楽に終始、気持ちというのか心境の移ろいというものが満ちている。解決は訪れないし、その必要もない。その刹那、刹那に安堵がある。アンチ『ロマン』とさえ言ってよい。

それは、シューベルトになって顕著。

即興曲は、大好きな曲。技術的にはアマチュアで弾ける範囲だと言われ、学習用に使用されることが多いので愛好家が多い。現に、昨年末亡くなった母も「身投げ」だとかそんな俗な話しをよくして子供だった私を惑わせた。結婚後、母はとうとう死ぬまでピアノを買うことはあたわなかったのでピアノを弾く姿はついぞ見なかったが、この「即興曲」は、私にとってはそういう家庭的な響きがする。田部のピアノは見事なまでにそういう刹那、刹那の幸福感をちりばめてくれる。基調には何とも哀切極まりない哀感があるからこそ、そういう刹那の幸福の輝きが美しい。

最後のソナタ第19番は、シューベルトのベートーヴェンへのオマージュだと言われている。

その証しに、曲はベートーヴェン的な雄渾さで開始される。田部はここでも「雄渾」なベートーヴェンではなく、プログラム劈頭にプラスされた31番のソナタの演奏と呼応させて気負いのない穏やかな開始にしている。だから、その後にすぐに尻すぼみになって叙情と不安のなかに彷徨するシューベルトへと素直に続いていく。オマージュというのは、決して模倣ではない。尊崇の念とともにとてつもない喪失感がある。失恋の心境に近い。

家庭的な響き。そこに安らぎがある。そんなことを言うと理想主義者や共和主義者の残党からは「小市民」と蔑まれるかもしれない。でも、田部の凄さは、そういう万人にとてもやさしい情緒的な甘美さを与えてくれるところにもあると思う。

東京は新暦で盆会をまつる。盂蘭盆会の前夜にふさわしいリサイタルだった。



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【田部京子シューベルト・プラス 第2回】
田部京子 ピアノ・リサイタル

2017年7月14日(金) 19:00
東京・新橋 浜離宮朝日ホール
(1階 13列10番)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
シューベルト:4つの即興曲 D. 899 Op. 90
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D. 958

ベートーヴェン:バガテル 変ホ長調 作品126-3
シューベルト:即興曲 変イ長調 作品142-2

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