せっかく長文を書いたのに、キーをたたくとmixiのお知らせページに遷移してしまいデータが消失して(泣く)。書いたことをいくつか思い出すと、若桑みどり氏が女性であり、日本史の門外漢ゆえに、またカトリック美術史の専門家としてヨーロッパ各国語に堪能で
改めて少年使節の4人をWikipediaから引くと、・伊東マンショ(主席正使): 大友義鎮(宗麟)の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。・千々石ミゲル(正使):大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。
Wikipediaによると、「天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は、1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンド