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2024年01月28日14:13

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「当事者性」と対象と

最近読んだ本を二つに分けたい。
1 堀越二郎『零戦』(角川文庫)
2 石牟礼道子『苦界(くがい)浄土 わが水俣病』(講談社文庫)
3 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)
と、
4 宮下章『海苔(のり)』(法政大学出版局)
5 『ローマ法の歴史』(ミネルヴァ書房)
6 『ローマ法とヨーロッパ』(同上)
――である。

1〜3は「当事者性」が強い本。このうち1と2は積読だったのを探して、やっと読んだが、ともに日本近代史の重要な史料だろう。1の著者、堀越二郎は、航空機と第二次世界大戦の歴史に名戦闘機として名を残すゼロ戦の主任設計者。宮崎駿『風立ちぬ』の主人公のモデルの一人でもある。ゼロ戦に対するさまざまな毀誉褒貶、世評は十分に承知の上で、1930〜40年代の日本内外の状況や過酷な制約の中で、最高の戦闘機を作ることに全力を注ぐ。必要十分な客観性を踏まえつつ、その当事者本人が書いた、貴重な傑作だろう。

2の石牟礼道子『苦界(くがい)浄土 わが水俣病』は、日本だけでなく世界史的にも重大な産業公害の一つである水俣病の告発と周知に大きな力を持った傑作。人はこの書を著者による水俣病患者への聞き書き(インタビュー)と捉えたが、著者自身は苦笑していた。文庫本の解説で、著者と親交のあった渡辺京二がその辺を解釈し、断言している。この本は「石牟礼道子の私小説である」と。目が見えなくなり、言葉も不自由、ないし一言も話せなくなった老人(また老女)のそばにいると、「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」(渡辺氏に語った言葉)。そうした様を「巫女」的と称する人もいるが、渡辺氏の文章から石牟礼道子は「水俣病患者の各家庭を、記録用具は何も持たずに、一度か二度訪れ、後に感じたことを書いた」にすぎないと分かる。ただその人自身が、農村や漁村も含め全ての現代人が失った、村落共同体的な心性の持ち主でもある詩人だった。

3は昨年12月に出たばかり。思想家・吉本隆明の長女で漫画家・エッセイストのハルノ宵子(吉本ばななの姉)が、晩年の「ボケ老人としての吉本隆明」を語った「暴露本」。いやあ、その偶像破壊ぶりが痛快! 吉本隆明もボケる。正確には、晩年の吉本隆明は要介護老人で、たまにボケた。糖尿病性神経障害のため、目や足が不自由で要介護なのに、本人は絶対に要介護認定を受けない。その結果、若い頃から病弱だった母親も含め2人の介護の主な担い手だった長女に、さらに負担が増した。
 長女の書くところによれば、「対幻想」は吉本隆明のフィクションにすぎない。奥さん(姉妹の母)は、若い頃から晩年まで、夫である吉本隆明のファンなど多くの客が来るのが好きではなかった。「そんなにファンや支持者にかまけているより、あなたは妻である私を幸せにするのが第一でしょ。それができていないくせに、毎日家事をしながら本を書いて、思想家として奉られているくらいで偉そうにするな!」と思っていたに違いない。

4〜6は、海苔やローマ法という「対象」に研究者として迫った良い本だと思うが、1〜3のような抜き差しならない「当事者性」はない。


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